まるで宝石のような

遠くから三人を見詰めていた私に一番に気付いてくれたのは梅子お姉さんだった。どうしたのと小さな私に膝を折って目を合わせてくれて、優しくてあたたかなその人は綺羅綺羅と眩しくてこの世の素敵な物を全て詰め込んで出来ているのだろうと漠然とそう思った。

ついて着たら駄目だろうと苦言を呈する兄さんに苦笑して、お兄さんの事が大好きなのよねと頭を撫でてくれた手を私は忘れたかったのに、忘れる事が出来なかった。あの手の感触をいつまでも覚えているから、私は大事な時に臆病になって、大事な事を伝えられないままなのだ。

「なまえちゃん」

手習いの帰りに梅子お姉さんの家に届け物をしてくれと兄さんに頼まれて引き受けたのは今朝方の事だ。大きくなってから私は梅子お姉さんの事が何となく苦手だった。優しくて綺麗で、皆から愛されて私とは正反対だったから。人は、自分と似ているものを愛し、自分と違うものを嫌うから。

梅子お姉さんは気付いているのか、それは分からなかった。もし気付かれていたら嫌だった。私のような醜い人間が美しい人間に嫉妬しているなんて事が本人に知られるなんてそんな惨めな事。

「寅次兄さんから届け物です。本がどうのって言ってました」

「ああ、この間話していた面白い本をね、貸してくれるって」

梅子お姉さんはくすくすと口に手を当てて微笑んでから、「ありがとう、お茶でも飲んでいって」と私を家の中にいざなう。私はすぐに返事をする事が出来なかった。

「でも、」

「もしかして、何か用事でもある?」

それでも顔を曇らせた梅子お姉さんを見たら首を振る事しか出来ない。私如きがこの優しくて素敵な人の感情を害してはいけないのだから。

「いいえ、じゃあ、お邪魔します」

「うん、なまえちゃんが家に来るなんていつ振りだろう?」

嬉しそうに顔を明るくして、「兄さんの妹」の私を家に上げてくれる梅子お姉さんを、私は多分羨んでいたんだと思う。だから梅子お姉さんが少し苦手で、少し嫌いだった。

家に上げてもらって、お茶を出されても私は黙ったままだった。だって梅子お姉さんと話せる話題なんて持っていなかった。いいや、同年代の友人を持たない私は生まれてからずっと人との会話が苦手だった。何を話して良いのか分からなくて、どんな顔をしていれば良いのか分からなくて。

「あんまり緊張しないでね。私なまえちゃんの事、勝手に妹みたいに思っているの。だから私の事お姉さんだと思って欲しいわ」

「お姉さん……」

恥ずかしそうにはにかみながら、私の身に余るような言葉を掛けてくれる梅子お姉さんの言葉を鸚鵡返しに返してみる。妹、かあ。もし私が寅次兄さんの妹じゃなくて梅子お姉さんの妹だったら。

「……嬉しいです。私も、梅子お姉さんが本当のお姉さんだったら良いって思ってたから」

きっと私はもっと霞んでしまう。特別なお姉さんの影に隠れて、誰にも愛されなくてもっと歪んだ人間に育ってしまう。微笑みながら言葉を濁せば、しかし梅子お姉さんはその言葉を額面通りに受け取ってくれて(これも私とは違うところ。素敵な人は言葉裏を疑ったりしない)嬉しそうに微笑んだ。

「私も妹がいる訳じゃないから分からないけれど、姉妹ってどんな話をするのかしら」

「……、それは」

きょろきょろと会話の手掛かりを探すように辺りを見回した梅子お姉さんの目ははっとある物に釘付けになる。それは寅次兄さんから託された例の本であった。

「ねえ、なまえちゃんは好きな男の人はいる?」

「……!なんで、急に、」

「だって思い付いた話がそれだけだったのよ。ほら、寅ちゃんが貸してくれた本、これ今話題の恋愛小説なんですって」

あの兄さんが恋愛小説?聞いただけで笑いが込み上げてくる。勿論噛み殺したけれど。兄さんは本当に、梅子お姉さんの気を引きたくて仕方ないらしい。

「そう言う梅子お姉さんは?」

「……うん、いるわ」

ああ、やっぱりね。だからこの手の話題は嫌い。私は知っている。梅子お姉さんが目で追う先に誰がいるのかなんて知っている。ずっと三人を見てきた私は知っている。ずっと遠くから見て来たから、知っている。

「わあ、どんな人ですか?」

「ふふ、優しくてね人の痛みが分かる人よ。心配しちゃうくらい自分の痛みに鈍感で、自分も傷付いてるのに人の心配をしちゃうような不安定で、でも強い人」

私の顔は曇っていないだろうか。よりにもよって梅子お姉さんの口から、「あの人」の事を聞きたくなかった。梅子お姉さんは私の表情が硬い事に気付かなかったのか(或いは気付いていて見ないフリをしてくれたのか)優しく微笑んで「なまえちゃんは?」と聞いた。

私は考えを纏めるフリをして俯いた。本当は問われた時から答えは決まっていた。でも即答してしまったらそれこそその気持ちの重さを知られてしまう気がして怖かった。だって私と梅子お姉さんじゃ比べるべくも。

「……うーん、いないですねえ」

「そうなの?てっきりもう想い合っている人がいるのかと思ってたわ。だってなまえちゃん可愛いから」

意外そうな顔で軽薄な世辞を吐く梅子お姉さんが少し苦手で少し嫌いだった。きっと梅子お姉さんが吐き出した言葉は全て彼女の真実から出た言葉だという事は分かっている。でも、真実と事実は違う。無価値な石を幾ら磨いても宝石にはならないように、梅子お姉さんの中で私が宝石だったとしても、事実私はただの石であった。

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