私の世界は美しいか

それから怒涛の数日間が過ぎ、遂に私たちに沙汰が下された。抗命罪は本来ならば確実に禁固刑である。いくら佐一兄さんが私を守って上官を暴行したのだとしても手を出した以上彼が何らかの処罰を受ける可能性は十分にあった。沙汰が下るまでの数日間が何年もの長さに感じられた。その間事情聴取がある度、私はせめても主張し続けた。

佐一兄さんは何も悪くないのだと。

それが功を奏したのかは分からないが、下された沙汰は本土送還の上での除隊処分であった。私も佐一兄さんも、本来の抗命罪の規定にしてみれば軽過ぎる処分だった。それは明らかな情状酌量であった。佐一兄さんは今までの勲功と恩給資格の剥奪と引き換えに。私はあの男の不始末の揉消しと引き換えに。

解放されて荷物を纏める為に自分の幕舎に戻った時、同僚はわっと私を囲んで、口々に心配したと言ってくれ、そして私の身に起こった事をまるで自分の身に降り掛かった災難のように口惜しそうにしてくれた。私たちの事はもう噂になっているのかと思うと憂鬱な気持ちになる。

彼らは随分と私に親身になってくれた。私が除隊処分を受けた事を知って上に陳情に行くと言ってくれた者もいた。それは心から嬉しかったがもう、どうにもならない事であった。これ以上事を大きくすれば佐一兄さんにも迷惑が掛かってしまう。

そして私はこの戦場に来た意味も見付ける事が出来ずに、何を成す事も無く、送還の船に乗せられたのだった。佐一兄さんとたった二人。

「……ごめん」

帰りの船でも一応私たちは処分を受けた身である為、殆どの行動が制限される。その中で私が僅かに佐一兄さんと顔を合わせた時、彼はいつもそれだけを言った。私は何も言えなかった。こうなったのは私のせいなのに。私は何も言えなかった。何か言ってしまって、佐一兄さんに突き放されるのが怖かった。謝らないといけないのは、私の方なのに。

揺れる船の中、何もする事が無くてただ寝台に寝転ぶ。無機質な天井を眺めていたら佐一兄さんの顔ばかりが浮かんで消えた。あの月夜の晩に私は故郷の何もかもと共に佐一兄さんへの気持ちも全て棄ててしまったのだと思っていた。帝都に出て来てからはそれらを思い出そうとは思わなかったし、そもそも思い出す時間も余分な気力も無かった。でも今こうして無為な時間を与えられて初めて、私は何一つ棄てられてはいなかったのだと気付いた。

私は未だに、佐一兄さんへの想いすら棄てられてはいなかったのだと。

ずっとずっと私は佐一兄さんが好きだった。あの男から守ってくれたからじゃない。たとえ私が「選ばれた子供」ではなかったとしても、私は佐一兄さんの事が好きで、大切で、仕方なかった。故郷を棄てた私に何も聞かず、自分だって辛いのに兄さんを喪った私の事を気にかけてくれる佐一兄さんが、ずっと笑っていて欲しい。私に願えるのはもう、それだけしかなかった。

***

漸く本土が見えてきて、甲板に出る事を許された私は佐一兄さんの姿を捜した。いないかも知れない、もしかしたらそんな気分にはなれなくて、部屋にいるかも知れない。でももし、いてくれたら。祈るような気持ちが通じたのか、佐一兄さんはそこにいた。あまり楽しそうな顔ではなかったけれど、船の手摺りに身体を預けてぼんやりと遠くに見える祖国の地を眺めていた。

「……佐一兄さん、」

「……ぁ、なまえ、ちゃん」

恐る恐る佐一兄さんの背に声を掛ける。彼は声を掛けられた事に一瞬肩を震わせて、振り返った。振り返ったその顔は、相手が私だと気付いて僅かに顰められたがすぐに取り繕うように笑顔に変わった。その表情の変化が私を怖気付かせたけれど、私はもう後悔したくなかった。

「やっと、日本だな。何か、疲れたよ」

「……はい」

苦笑する佐一兄さんの声は核心を避けているようにも聞こえた。私に踏み込ませないように一線を引いているようにも。以前の私ならきっとその線を踏み越える事は無かっただろう。でも、

「佐一兄さん……、あのね、」

「……うん?」

佐一兄さんの目を見た、真っ直ぐに。いつも力強くて優しかったその瞳は、今は僅かに弱々しく輝いていた。

「私、こうなった事、後悔しています」

「……ごめん、俺のせいで」

私の言葉に項垂れて、私に再度謝罪の言葉を与える佐一兄さんの震える声に私の心臓は嫌な音を立てる。それでももう、決意した事だった。どれだけ覚悟が揺らいだって、私は佐一兄さんに伝えないといけないのだ。この想いを。

「私、後悔しています。あの村にいた時からずっと佐一兄さんが好きでした。佐一兄さんには笑っていて欲しい、いつだって。……それなのに。私のせいでこんな事になってしまってごめんなさい……。私さえいなかったら、こんな事には、」

「違う!違うんだなまえちゃん!俺がもう少し上手く立ち回れていたら、なまえちゃんに迷惑掛けなかった!それに、俺は後悔なんかしてない。なまえちゃんに迷惑掛けたけど、それでもなまえちゃんを守れた。……俺は殺すだけの人間じゃないって、証明出来た」

初めて、佐一兄さんとこんなに近い距離で見詰め合った気がした。寂しく笑った佐一兄さんは私の手を取って手摺りの傍へと私を誘う。

「見ろよ、日本だ。……俺たちはちゃんと約束を守ったんだ。生きてたら、何だって出来る。俺は後悔してない。……だから、なまえちゃんも後悔しないでくれ」

太陽を反射して煌めく海に眩しそうに目を細めながら、佐一兄さんは私の手を確りと握った。そしてやっぱり寂しく微笑んで「俺の事、好いてくれてありがとう」と小さく呟いた。それだけで、その言葉だけで良かった。私にはもう、その言葉だけで。

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