騒めく感情、彼の人に届けよと

夜、布団に入って今日一日にあった事を思い出すのが私の日課だった。でも、今夜は何となく別の事が気になってしまって、回想に集中出来ない。理由は分かっていた。音之進さんのせいだ。尤も、こう言うと語弊があるのだが。

今日も彼の事を待っていた私の許に訪ねて来たのは音之進さんとは別の人だった。その人が言うには、音之進さんは仕事の都合で来られず、代わりに遣いである彼が手紙を届けてくれたのだそうだ。読んだところを確認するように言われているから今ここで開封してくれと言われた手紙には、几帳面な格式張った字で約束を破る事の謝罪と私に会いたいという旨が書かれていて、その「らしさ」に笑みが零れてしまった。出来れば返事が欲しいと言う遣いの人を待たせて一言二言したためた手紙をもう、彼は読んでしまっただろうか。何となく、私の手紙を読んだ彼の表情を想像してしまって、そう考えると微笑ましさの反面恥ずかしさや何か粗相をしていないかという不安が湧き上がる。

出会ったばかりの人なのに、私は随分と音之進さんを心安く思っているようだ。彼の笑顔を見ると、何故だか安心してしまう。私の家を毎日訪れてくれるというただの口約束を、律義に守ってくれようとしているだけで嬉しい。

この感情が何か分からない、そう言う程子供ではないつもりだけれども、やはりそれを言うには私たちは出会った日が浅過ぎるのだと、そう結論付けるしかない気がした。それにもう一つ、気になっている事がある。音之進さんはきっと私の事を僅かでも心安く思ってはくれているだろう。でも、何か違っているような気がしてならなかった事だ。

それは、彼と出会ってからの数日を振り返ってみて、思った事だ。音之進さんが、時折、私の顔を見ているようで、どこか遠く、まるで大切な想い出を想い返すような、そんな表情をしているような気がすると。きっと私を引き金として想い起こされるその記憶は、音之進さんにとっては酷く大切な物で、私はただのきっかけでしかない。十中八九の推論が正しい事である事を、頭では理解しようとしていた。それでも感情は別だ。

きっと私は見て欲しいのだ。音之進さんに、私を。私に桔梗を贈ってくれた彼が、私の事を見てくれるように、少しでも彼の記憶に私という存在が残るように、ちっぽけな贈り物しか返せない私が。

それは最早理屈を超えた、本能の部分であるように私には感じられた。常識も何も関係ない。出会った瞬間から、私は彼に惹かれる事を運命づけられていたのではないか、そう感じる程にそれは強い想いであった。

自分がこれ程までに情熱的な性格であった事を、私は知らなかった。でも音之進さんの事を考えると胸が苦しくなって、泣き出したいくらいに嬉しくなるのはどうしようもない程の事実だった。まるで前世からの約束事のように、私は音之進さんに惹かれる事を止める事が出来なかったのだ。

(…………)

そっと暗がりの天井に向かって手を伸ばす。見慣れた私の手の影が、闇に慣れた目に映る。この手で音之進さんに触れたら、一体どんな気持ちになるのだろう。心臓が上擦ってしまうだろうか、或いは寄る辺無いような不安な気持ちになってしまうのだろうか。でもそのどれもが違う気がした。

音之進さんに触れた時に感じる物、それは安堵なのではないかと、私は触れてもいない内から図々しく想像を巡らせる。音之進さんが触れられる距離にいる、その事を想像するだけで、私の内に巣食う何か見えない不安や恐怖が無くなっていくような気がした。

伸ばしていた手を引っ込めて、寝返りを打った。視線の先の文机には今朝の手紙に同封されていた可憐な花々が小さな花瓶に澄ました顔で鎮座して、部屋の空気を鮮やかに彩っている。ふと思い立って私は灯りを灯し、文机の抽斗の中から今日、音之進さんに貰った手紙を取り出した。

何度見ても読みやすい、ぴしりとした字画で書かれたその手紙を読み返す。そして読み返す度に心臓が高鳴った。それは手紙の後半部分に書かれている誘い文句のせいだった。あの時の私は音之進さんの誘いを二つ返事で了承してしまったが今更ながら、明日が楽しみなようで緊張して憂鬱になってと忙しなかった。

もう一度、手紙を開く。

みょうじなまえさんへ
突然の連絡となってしまって申し訳ないと思っているが、今日私はどうしても外す事の出来ない仕事の都合であなたの許に行けなくなってしまった。毎日あなたの許を訪ねるという約束を早々に違えてしまう事をどうか赦して欲しい。詫びになるかも分からないが、昨日帰り道に見かけた花がやはりあなたに似合うのではないかと思った故、遣いの者に預けておく。本当に済まない。時間が許される事なら本当はあなたに逢いたいと思う。もし、迷惑でなければ明日は一日時間を空けてあるので、良ければどこか一緒に出掛けないか。遣いの者に返事を持たせてくれると嬉しい。今日もあなたに幸あれかしと願っている。
鯉登音之進

本当に、どうしよう。

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