館を訪れて、DIO様にご挨拶と少しの報告をしたらもう、ここでやる事はあまり無い。館を根城に少し羽を伸ばす事とて出来るだろう。ナマエ様に会うのは久し振りだから彼にもご挨拶をと思い私室を訪れたがいらっしゃらなかった。今日はツいていないと肩を竦めた。
かと言ってすぐにここを発つのも億劫だ。一旦休息でも取ろうと宛てがわれた部屋に向かったら、部屋の前が明らかに異質だった。
「………………」
そこにいたのは幼子だった。子供に詳しい訳ではないので定かではないがテレンスが三、四歳の頃と同じくらいの大きさだろうか。身体のサイズに合わない服を引き摺って、子供には似つかわしくない感情の抜け落ちた表情をしていた。
「…………ええと、どちら様、かな」
「………………」
DIO様の新しい部下だろうか。それにしては様子が可笑しいような、と不思議に思いながら声を掛けるが子供は口を閉ざしたままだ。
よくよく見ると子供は何処かで見たような雰囲気をしていた。くすんだ黄金の髪は無造作な長さに伸ばされていて柔らかそうだ。館が暗いのでやや分かりにくいが、大きな丸い瞳はルビーのように赤く光っていた。幼いながらも何処か見る者の目を惹き付けるその風貌は正しく。
「まさか、ナマエ、様?」
「…………!」
子供の肩が大仰に揺れた。赤い瞳が零れ落ちそうな程に見開かれ、子供は明らかに怖がっているような素振りを見せた。
「……だれ?なんで、ぼくを……」
少年は言葉を震わせるのみで是とも否とも言わない。ただ先程の彼の反応を見るに、目の前のこの子供はナマエ様で間違いないのだろう。そして何となくではあるが、ナマエ様が「こう」なった理由も分かった。確かDIO様の部下にそんなスタンド能力を持つ奴がいた。
「私はダニエルです。ダニエル・J・ダービー。あー……、あなたの兄君であるDIO様の知り合いです」
我ながら無理があったか、と少し顔を顰めたがナマエ様はDIO様の名が出ると目に見えて顔を明るくした。
「ディオのともだち?」
「友達……。ええ、まあ……」
DIO様に聞かれたらどうなるか、と思うと声を落とさずにはいられない。それでもナマエ様はこんな無理矢理な説明で納得してくださったのか、何処か安心したような表情を浮かべた。
「ここどこ?ディオも、ママもいないの」
大きな目が私を見上げる。純粋過ぎる程透き通った目には不安が見て取れた。ナマエ様の口から御母堂の事が出た事を聞いた事が無かったので何か少し気持ちが怯んだ気がした。
「DIO様は……ええと、今からお昼寝の時間です。お母様は、そう、買い物に行かれましたよ」
ナマエ様に嘘を言うのは心が痛んだが、ここは落ち着かせてやった方が良いような気がしてその場を取り繕う。もっともDIO様はこれから就寝であるから、半分は嘘ではないはずだ。
だがナマエ様は心配そうに目を瞬かせた。私を疑っているというよりは、それが真実だと困るというような表情だった。
「また、『あいつ』が……?ママはねていないと、」
愛らしい顔がくしゃりと歪み、ナマエ様は涙を拭うように眼許を擦った。その様が余りにいじらしかったので怖がらせないようにゆっくりと距離を詰めて顔を覗き込んだ。
「……ママがしんじゃったら、どうしよう」
大きな目からぽろぽろと涙を零すナマエ様に何か対応を間違えたと気付いた。正直なところナマエ様の過去の事を良く知らないのでどうしようもないのだが、取り敢えず静かに大粒の涙を零すナマエ様を放っておく訳にもいかないので、昔テレンスにしたように抱き上げようと手を伸ばした。
「……!」
すると私の気配を察したナマエ様はまるで身を庇うように腕を出し、顔色を白くさせ大袈裟な程に身体を硬直させるから何処となく合点がいった。ナマエ様の生まれであるとか幼少期に置かれた環境であるとかそういった事が。
「大丈夫。私は何もしません。ただ抱き上げるだけです。此処は私の部屋ですから、中に入ってお母様を待ちましょう」
まだ静かに泣いているナマエ様の頭を極力優しく撫でて、出来ているか分からないが安心させるように微笑んでみる。ナマエ様は濡れた頬を必死に拭っていたが、か細く「うん」と答えて、私に両腕を伸ばした。どうやら私の事を信用してくださったようだ。
ナマエ様を抱き上げると当然のように幼い腕が首に回った。鼻を鳴らす音が耳許で聞こえる。何となく、テレンスの事を思い出した。歳の離れた弟がまだ、二、三歳の頃の事をだ。
片手でナマエ様を支え、片手で扉を開ける。抱き着いてくるナマエ様の体温は子供だからなのか高い。それにソファに座っても離してくださらなかった。
「ナマエ様?」
「……ママはね、からだがわるいの。ねていないと、だめなんだ」
これでもかと言うくらい悲しそうな声を出すナマエ様に変な嘘を吐いてしまった気の悪さが募る。誤魔化すようにナマエ様の頭を撫でた。
「ナマエ様は、お母様の事が大好きなのですね」
「………………」
ナマエ様は何も言わない。身体を丸めて、すん、と鼻を鳴らしただけだった。即答するかと思っていたがナマエ様は何も言わなかった。彼の表情を覗き込むも、長い睫毛を伏せて物憂げな顔をしている。
「ナマエ様?」
「…………きらい」
幼いその目に宿るのは悲しみと憎悪だ。だが幼いナマエ様はそれを口にする事が「いけない事」だと分かっているとでも言うように唇を引き結んだ。
「きらいだ。ママなんかきらい……」
溢れる雫がナマエ様の白くて柔らかそうな頬を濡らす。それを手で乱暴に拭って、彼は私の服をぎゅう、と握った。
「ママも『あいつ』もだいきらい。ぼくにはディオだけでいい……」
項垂れるナマエ様を腕に抱く。両親が忙しかったせいで幼いテレンスの面倒を見ていた事がある。あの頃も両親を恋しがるテレンスを抱いて慰めてやった。ナマエ様の幼い心に根付く寂しさも同じように癒せるだろうか。
「訂正しましょう。ナマエ様はDIO様の事が大好きなようですね」
「うん……、だいすき。ディオとぼくはずうっといっしょ。やくそくしたの、ずっといっしょだよって」
甘い舌足らずな声が聞こえる。両親にすら許せない心をDIO様に許すその理由を、私は知らない。きっと、この世界の誰も知らないだろう。DIO様とナマエ様以外は。
「でもこわいの。ディオとはなればなれになっちゃったらどうしようって……。『あいつ』がいうんだ。『どちらかひとりだけでもこじいんいきだ』って」
背景のよく読み取れぬ話ではあったが、一つだけ言える事があった。
「DIO様とナマエ様は、100年の時を超えて共におられますよ。私が保証します」
「…………?ひゃく、ねん?」
呆けた顔のナマエ様の濡れた頬を撫でる。もうその瞳から涙は溢れてはいなかった。大きな赤い瞳が私を見ている。幼い彼は信じるだろうか。DIO様とナマエ様、お二人を結ぶ絆の強さを。その数奇な運命を。