いつもは店で行う生業を、露店でしようと思ったのは偶々だった。特に何か理由があった訳では無い。強いて言えば何か、予感めいた物があったのかも知れない。
そしてそこでとても美しい人間を見た。年齢や見た目から受ける印象、或いは男女の別すら分からない。例えば彼はまだ未成年で、品行方正な青年だと言われればすぐに納得してしまうだろう。しかしそれと正反対の事、例えば彼女は30代半ばで多くの人間を手玉に取ってきた毒婦だと言われてもまた、私は納得してしまうような気がした。
それくらい、プリズム的なのだ。見た目から受ける印象が乱反射していて、本質が分からない。そしてその異質さは確かに目立つはずだろうに、私以外の誰も気付かないのだ。あからさまなそれに私が目を付けたと知ったのか、青年は振り返って嫣然として微笑んだ。こちらに近付いてくる歩き方は訓練でも受けたかのように整っている。
「私に何か用?……占い師さん」
刺すような日差しから身を守るようにシンプルな日傘を差した青年は何処となく貴族のような品の良さを纏っていた。きっと「そういう」視線を浴びる事が頻繁にあるのだろう。視線には酷く敏感そうだった。
「……失礼。君から強い『力』を感じたのでね」
私は座っていて青年は立っているから、青年の顔は逆光になっていて見え難い。だがその瞳の力の強さはこれまで多くの人間を見てきた私でも見た事が無い程に強かった。赤い宝石のような瞳、そしてその燻んだカナリアイエローの髪の色は物語の中で読んだ吸血鬼のようだ。だがそんな物がこの世にいるはずはないから、瑣末な考えはすぐに思考の渦の中に消え去った。
「力。良く言われるね。私には何か、人と違う力があると」
良く見えない顔が柔和に微笑んでいる事は良く分かった。そしてその声には奇妙な揺らぎを感じた。その声の元に何もかも投げ出して平伏してしまう者はきっと多いだろう。そしてこの私も同様の気持ちを抱きつつある事に、恐れを感じていた。
「心当たりが有るのかな?私が見るに、君は恐らくとても数奇な運命を生きている」
しかし人間としての防衛本能より占い師としての好奇心が勝ったと言える。一目見て分かった。この青年は「危険」であり、それ以上に「魅力的」だと。
占い師として仕事をする時に、私はまず相手の目を見る事にしている。人間の目には実に色々な感情が隠れている。だが青年の目からは何の感情も読み取れないのだ。一見こちらに対する好意のような感情が見える。だから普通の人間は青年を好意的な人間だと思うだろう。だが占い師として多くの人間を見てきたからこそ僅かに感じ取れるその底知れぬ薄ら寒い物を私は人間として危険だと判断した。
しかしそれ以上に、占い師としてこの青年の運命を見たいと思ってしまう。目を見て、その人相を見て感覚で理解した。この青年は星の光を纏いながらも泥の中に生き、そして泥の中から星を堕とした。そういう運命を生きてきた。気高さと反吐の出るような邪悪さを兼ね備えた二律背反の揺らぎは純粋に人を良く魅き付けるはずだ。
「……あなたは、きっと良く当たる占い師さんなんだね」
ゆっくりと、青年が私の対面に腰掛けた。相変わらず日傘は差したままだったが、同じ目線で向き合った事で青年の顔が良く見える。中性的な顔立ちは整っていて甘い色香を見る者に感じさせる。赤い瞳にはやはり強過ぎる光が湛えられていて、真正面から見詰めればたじろいでしまうだろう。
形の良い唇が笑みの形に歪められ、人好きのする表情は自分がどう思われているのか良く分かっているように思われた。全て計算の上で所作も表情も作られているのだ。
「数奇な運命かは分からないが、そうだね。それなりに色々あった」
「もし、差し支えなければ私に占わせてくれないか。金は要らない。君のように『輝いて見える人間』を私は今までに見た事が無いのだ」
私の頼みに青年は表情を崩す事無く頷いた。柔和な表情は崩れる事が無い。その目に映る光の強さもまた、変わらない。対して私はカードをシャッフルする手が震えるのを必死に抑えていた。気が高揚しているのだ。
「一枚選んで」
「……はい」
何の迷いも無く選ばれたタロットカードはやはりと言うべきか「世界」のカードだった。完成や統合、幸福の絶頂を意味するカードだ。これ程までに青年にぴったりのカードもないだろう。私は僅かに興奮すらしていた。私の占い師としての人生でも出会った事の無い人間の登場に。
「世界のカード。統合や完成、幸福や喜びの中でハッピーエンドを迎えることを象徴するカードだ」
「…………うーん」
私の説明に青年は何処か不服そうな顔をする。良く分からなかった。これ程彼にぴったりなカードの意味は無いだろうと思ったのだが。しかし青年は肩を竦めた。
「それは正位置の意味だろう?私は、こう思うけどね」
細い指先がカードを取ってくるりと回した。180度反対に。逆位置だ。
「不完全、未完成。……そして、絶望」
甘やかな声の中に汚泥のような翳りが聞こえた気がした。青年の顔を見たが、その感情は分からない。西洋絵画の聖母のような曖昧な笑みを見せて青年は立ち上がる。気付けば露台の端に幾らかの紙幣が置かれていた。
「良く当たる占い師だ。……今度は兄を、連れて来ようかな」
先ほどの泥のような声音は影も形も無く、青年は最初から何も無かったかのように立ち上がると、雑踏の中に消えていった。私は青年を呼び止める事も出来なかった。青年が本当にそこに存在したのかも分からなかった。ただ、露台に置かれた紙幣が僅かに青年の痕跡を残していただけで。