望みは最早、ただ一つ

夜中、唐突に目が覚める時がある。緩やかな意識の浮上も微睡も夢現も無い、唐突な覚醒だ。そしてそんな時には必ず、声が聞こえる。

「……トウジロ、」

なまえの寝言だ。幸せそうな声音の時もあれば、今にも泣き出しそうな声音の時もある。だがその声はどんなにか細くともいつだって、俺を覚醒させる。本当は、耳を塞いでしまいたかった。俺が犯してしまった罪から目を背けてしまいたい。

でもそれは許されないのだ。それは俺に科された罪科で、俺はそれを生涯抱えて、正視して生きていかねばならない。あの日、藤次郎と約束したのだから。本当は俺が死ぬべきであったあの戦場で、俺の代わりに死んでしまった藤次郎にせめて報いる事を。

「……トウ、ジ、ロ」

何度目かの囁きに寝返りを打ってなまえの方を見る。なまえは俺に背中を向けて小さく丸まって眠っていた。だからその表情は分からない。それでも、その声はとても幸せそうだった。今日のなまえの夢は幸せな夢なのだと知ったら、酷く安心した。せめて夢の中だけでも、藤次郎と幸せであればそれは俺にとって何よりだ。

静かに、隣の布団に眠っているなまえに手を伸ばす。あの夜の口付け以来、俺はなまえに指一本触れてはいなかった。それどころか、顔すらほとんど合わせていない。ノラ坊との「任務」のせいでまともに家には帰れていなかったのが原因だが、多分、俺は「任務」があろうとなかろうと家には帰れなかったのではないかと思うのだ。

なまえの顔を見るのが怖いのだ。なまえの目に宿る憎悪の光を確認するのが怖い。なまえに拒絶されるのが怖い。なまえに、この想いを否定されるのが、何より怖い。

臆病な俺は全て見て見ぬフリをして逃げるばかりだ。俺は逃げて、取り残されたなまえはきっと虚しいはずだ。あんなに重い覚悟を決めて、俺のところに嫁いできたのに。

ゆっくりと、手を伸ばす。なまえの髪に触れて、梳くように撫でてみる。射干玉の柔らかな重みに俺はただ、こうしていられるだけで幸せだったのだと悟った。幼い頃のように、なまえの髪を撫でてやって、なまえが嬉しそうに微笑むのを見るだけで良かったのだ。

俺が触れたせいかなまえが息を吐くように笑った気がした。その夢を覗いてみたいと思う。なまえと藤次郎が幸せにしていて、それを俺は傍で見ている。それで良かった。きっとそれ以上を望んだら罰が当たる。否、それ以上を望んでしまったから、罰が当たってしまった。

俺は確かになまえの事を愛しているけれど、それ以上になまえが愛している男と幸せになる姿を見たいと、今は思う。何より、俺の大切な弟が愛した女と生涯幸せに過ごすところを見ていたかった。

ノラ坊に、説教した身とは思えない。なまえの覚悟を見くびり過ぎだ。他人になら、そう言えるだろう。だがこれは、当事者でないと分からないのだ。俺はなまえを愛しているが、その想いとこの贖罪は関係無い。俺はたとえ俺がなまえを愛していようと、なまえが俺を憎んでいようと、なまえを幸せにしなければならないのだ。それが、藤次郎との約束であり俺の「役目」なのだ。