ナマエが消えた。その場に居合わせたホルマジオは前後の記憶がハッキリしないらしい。アジトに置いていたナマエの数少ない荷物はそのままだった。ただ、あの小さな生き物は影も形も無く消えていた。
「裏切ったって事かよ」
「ホルマジオが思い出さない事には確証は無い」
肝心のホルマジオは曖昧な事を述べている。ナマエにスタンド能力を使われたようだが生命に影響は無くただ記憶の混濁が著しい。
ギアッチョが苛立たしそうにソファを殴るのを止める者は誰もいない。兎に角捜さなければならないだろう。この行為が裏切りなのかどうなのか定かでないとしても、「チームのメンバーが一人行方不明です」で放置する事は出来ない。
ナマエの情報を辿って分かった事がある。彼奴は何処にも帰属していない人間だったのだと。生まれた場所も育った場所も或いは「現在地」すらも、ナマエには形跡が無かった。それは恐らく念入りに抜け目無く行われた所業だろう。どうやらナマエは住処を移す度に過去の経歴を消しているようだった。
だが幾ら経歴を消したとして人ひとりの「気配」が完全に消える事はあり得ない。だからこそ、俺はナマエが任されていたという教会に足を運んだという訳だ。
ボロい教会は「神の家」として機能しているようには見えなかった。まるで廃墟のようなそこにはもう何年も人間がいたような痕跡は見当たらなかった。ナマエは「本職」と宣っていたが、恐らくここも少なくとも数年は放置していたのだろう。
建て付けの悪い扉を開ける。埃っぽい礼拝堂の中に人の気配があった。見覚えのある後ろ姿がゆっくりと振り返る。
「…………ナマエ」
「プロシュートさん」
石壁の隙間から差し込む斜陽に照らされたナマエはとても穏やかに微笑んでいた。まるで俺を客人として迎えるように。
「ナマエよォ、ちっとおイタが過ぎるんじゃあねェか?こんな事をしておいて、どうなるか分かってるよなァ?」
俺が隠しもしない殺気をナマエが嗅ぎ取れねェ訳はねェ。なのにナマエは再度とても美しく笑った。
「でもプロシュートさんに私は殺せません。『そうでしょう?』」
スカした表情が俺を見るとスタンドのビジョンを出現させられなくなる。俺が睨み付けるのを他所にナマエは俺に背を向けるとその場に膝をついた。見上げる先にはボロボロの十字架があった。今にも落ちてきそうなくらいに傷んだそれを、ナマエはただ見上げていた。
「どうして、ホルマジオを襲った?」
「…………」
ナマエは何も答えない。礼拝堂には場違いな午後の温い陽光が広がっていた。昼下がりのとろりとした空気を撹拌するようにナマエが小さく嗤った。再度俺の方を見たナマエの瞳に宿る光は十歳の餓鬼と変わらなかった。
「私から、また、大切な生命を奪おうとしたから」
「…………」
ギアッチョの話と断片的なホルマジオの話から凡その予想は出来た。喪った顔も見た事の無い弟とその代わりの生き物。だがそれを赦せる程、俺たちが「仲良しゴッコ」の集団でない事もまた、事実だった。
「ナマエよォ、分かるか?裏切り者の末路は死だ。オメェは今、岐路に立たされてる。どちらか選べ。帰ってくるか、死ぬか。リゾットは今ならまだ、どうにかする気でいるらしいぜ」
「…………」
グレーの瞳が曖昧に形を歪めた。暗い影が潜むその目に映っているのは俺を通り越した何かのように思えた。不意に何かに制御されているような感覚が無くなり、グレイトフル・デッドが俺の傍に音も無く寄り添った。ナマエがスタンドのガードを外したのだ。ナマエが俺を真正面から見つめていた。
「…………どうもしてもらわなくて平気です。殺すなら殺せば良い」
憎たらしい顔で笑うナマエは本当にあのナマエなのだろうか?こうなった以上もう実力を行使するしかねェなと一歩を踏み出す。ナマエに手を伸ばして、その細い腕に触れた。その腕の細さにやはり確信を得る。ナマエは俺の顔を真っ直ぐに見ていた。
「 」
ナマエが何かを口にした。それは誰かへの呼び掛けように聞こえた。急速に老いていくナマエのグレーの瞳から輝きが失われ行くのを見ていた。ナマエは微笑んでいた。微笑みながら泣いていた。とても静かに涙を溢していた。「マンモーナ」がよォ。
「ハァ……」
気が削がれてナマエの手首を掴んでいた手を離す。支えを失ったナマエはその場に蹲るように倒れ込んだ。不審げな顔が俺を見上げている。視線を合わせるように膝を突いて彼女の目を覗き込む。
「リゾットに言われてんだよ。オメェを生きたまま、アジトに連れ帰れってよォ」
戸惑っているのが明らかなその顔を見ていたら、今までどうして気が付かなかったのだろうと思う。何処からどう見ても、此奴は女じゃあねェか。