始まりの死

人を殺した。罪悪感は不思議と無かった。目の前の呼吸が止まった、もう冷たくなりつつある骸をじっと見た。僕の手は血では汚れていない。僕の魂も、きっと汚れてはいない。

なんだか、とても呆気ないという思いが強かった。本当ならこの先の事を心配するのが正しいのかも知れない。でも怖くない。

「ディオがいるからかな」

「……?どうした?」

二人で目の前の骸、父親を見つめる。本当に呼吸が止まっているか何度も確かめたけれど、やっぱり呼吸は止まっていたし、心臓も止まっていた。触れた身体はとても冷たくて、どこからどう見ても、こいつは死んでいると確信出来た。

「……ジョースターだって」

「……こいつを恩人だと思うんだ。随分マヌケな奴らなんだろう」

何となく、ディオも僕も声が小さくなる。ジョースター。三日前、父親が最期に口にしたのは皮肉にも僕らの今後の事だった。リバプールに住む貴族、ジョースター家はこの父親に恩があるらしい。どうせ勘違いだ。僕らの中では一致したその結論だが、正直に言ってこれは渡りに船ではある。今、この年齢で世間に放り出されるよりは、貴族の後ろ盾の下で大きくなった方が「可能性」がある。ただ一つ、懸念点もあった。

「手紙を出したら離れ離れになる、なんて事はないかな。……どちらか一人だけしか、必要ないとか」

「……どうだろうな。もしそうなら、二人で逃げ出すしかないだろう」

傍にあったディオの手を握った。ディオも僕の手を取った。怖くはなかった。たとえどんな道を辿るとも、ディオがいるならば。

「……賭けてみようか。僕らの運の強さに」

「ナマエ……、」

ディオの顔を見る。ディオも僕の顔を見てそれから微笑んだ。それはとても美しく思えた。貧民街の薄汚れた餓鬼二人、でもきっとディオも僕もとても美しく笑っていたに違いない。

手紙を出したらすぐに返事が来た。返事だけでなく一緒に初老の男が来た。多分その男はジョースター家の家令か何かできっと僕らを「検分」しに来たのだ。男は丁寧ではあったが厳格に僕らを検めた。名前や年齢、生まれてからのあれこれを聞かれた。ディオと僕はとても可愛らしく可哀想な子供たちとして振る舞った。父親の遺体はさっさと土葬してしまった(埋葬料も結構高くついた。あの男は悉く僕らに迷惑を掛ける)ので、これからどうやって生きていくか困っていると健気で殊勝な表情をして見せると男は本気で僕らに同情してくれたようで暫くの生活費とリバプールへの移住のための支度金を置いていってくれた。

「……たかが使用人の癖に、これだけの金を彼の判断で出せるんだね」

男が帰ってからテーブルに置かれた金を眺める。仮に僕らが一か月、全く休まずに働いたって渡された金額の半分も稼ぐ事は出来ないだろう。

「流石貴族、といったところか。……ナマエ、」

日はとうの昔に落ちてしまって、部屋は暗かった。蝋燭に灯りを点そうかと思ったけれど、何だか疲れてしまった。暗がりで何も見えなくて、手探りでディオを探す。触れた半身の温もりを確かめるように握る。ディオも僕を引き寄せ、僕らは久し振りにベッドに倒れ込んだ。

「ベッド、久し振りに寝た」

「やっとあの男がいなくなって清々したな」

父の療養中は僕らは床に毛布を敷いて眠っていた。そのせいかディオも僕もいつも疲れていた。お世辞にも柔らかとは言えなかったけれど床よりずっとマシなベッドに二人して寝転んで抱き合う。何も見えないけれど天井を見た。息を吸う。ディオも吸った。

「明日からさ、」「明日から、」

お互い顔を見合わせる。言いたい事は同じだったようだ。

「せーの、で言おうよ」

「どうせ分かり切っている事だ」

「良いからさ。せーの、」

二人の口から一つの言葉が発せられる。声を上げて笑った。ディオも吐いた息の中に笑みが混ざっていた。ぎゅう、と抱き合う。僕らは二人だけど、一人だ。決して分たれてはいけない存在なんだ。そう、確かに確信した。

「リバプールに行ったらさ、もうここには帰って来ないって事だよね」

「……フン。綺麗な世界しか見た事の無い人間には、こんな街は存在してないのと同じだからな」

ディオの言葉には棘があるけれどそれはどちらかと言うと「悔しさ」のような気がした。今の僕らは「特別」じゃあない。ただの、力の無い、弱者。ゆっくりとディオの首筋に顔を寄せて頬を撫でる。

「僕、友達にお別れを言わなきゃ」

「友達?……それは、」

ディオの声が剣呑さを増す。どうやら「彼」の事を「大人たち」と勘違いしているようだ。首を振ってそれを否定する。

「違うって、普通の友達。良い奴だよ。僕には勿体無い」

誤魔化すようにディオの頬と顎の中間辺りにキスを落とす。ディオは僕の頬を撫で、お返しと言うように唇にキスした。

「早く準備をして、こんな汚らしい所からは一刻も早く出て行こう」

「そうだね。荷物も少ないし、一週間あれば何とかなるかなあ」

脳裏に「友達」の顔が過ぎる。人生が動き出している。確かにそう感じた。野心と同じくらい億劫さと僅かな不安を感じている気がする。ディオも同じ気がするけれど、彼はきっとそれを巧妙に隠すだろうと思った。隣にある片割れの温もりを感じながら目を閉じた。