世の中は不公平だと思う。例えば生まれ。生まれが酷いとそれだけでそのあとの一生、決まったような物だ。または年齢。子供は大人より弱くて子供というだけで軽んじられる。或いは性別。女は男より役に立たないと思われる。ならば酷い生まれの子供でしかも女に生まれた私は最底辺まっしぐらと言える。
私には幼馴染のような存在がいた。同じように酷い生まれの子供だ。私たちは助け合って暮らした。衣服を分け合い、パンを分け合い、寝床を分け合った。凡そ分けられる物は何でも分け合ったと思う。運命すら私たちは分け合うのではないかと思っていた。しかしそう思っていたのは私だけだったようだ。
ソイツは男だった。本当に不公平だと思う。男だったソイツは男という理由で何か賢そうな奴に連れて行かれて二度と帰って来なかった。去り際のソイツの泣きそうな顔を、何故か今も覚えている。
まあ、そんなこんなで私は不公平な生まれの下で不公平な人生を歩み、幼馴染だった彼の言葉を借りるならば「詰み確定」だった訳だが、私には幾つかの点で人より優れている点があった。
一つ目は良い視力だ。これはある意味では幸運な事だったが、私と幼馴染はとても目が良かった。栄養状態が悪いと真っ先に目が悪くなると聞いていたが、私たちはそうならなかった。私はきっと城壁の上から反対側の城壁の兵士の顔が見えるだろう。
二つ目は高い記憶力だ。私は覚える事がとても得意だった。どんな物事でも見たり聞いたりした物はすぐに覚えた。生憎文字は読めないが、この記憶力で危ない場面を幾度か切り抜けた事がある。私はきっと幼い頃に一瞬すれ違った人間の瞳の色だって仔細に語る事が出来るだろう。
最後に、これは本当にただの幸運だが、私は一般的に見て美しいと思われる容貌をしていた。幼い頃からそういう目を向けられた。そしてこの容姿を武器にする事が出来る事に気付いた。私が視線を動かすだけで、それに惹かれる人間が山ほどいる事に。私はきっとどんな人間だって手玉に取れる。そして何だってさせる事が出来るだろう。
と、いう訳で私の人生は条件的に言えばまあ、「詰み確定」と言えばそうなのだが、ある意味では「神様からの贈り物」で何とか生きていた、という訳だ。
「分かった?」
「君がその『連れて行かれた幼馴染』とやらに酷く嫉妬しているのは分かった」
目の前の男の発言に僅かにでも苛立ちを覚えるのはそれが図星だからだろう。でもそんな事を悟られるのは癪だから鼻を鳴らして否定の構えを見せる。
「はあ?もうアイツは良いよ。今何してるのか知らないけど。まあ、多分元気なんじゃない?昔から、賢かったしさ」
この男は目的は良く分からないが、最近知り合った。妙に私に優しくしてくれるから、有り難く寝床を借りている。名前はフベルト。研究者だそうだ。何の研究かは興味が無いから知らない。
「ふむ、聡い君にそう言わせるというのなら、余程だな」
「私もその辺の孤児よりはマシかなって思ってるけど、アイツはマジだから。アイツがいたから私たちは二日か三日に一回はパンにあり付けたもの。ま、アイツはそんな生活が嫌になったから逃げた訳だけど」
一つしかないベッドに腰掛けて足をバタつかせるとフベルトが非難するような目で睨んできた。構わず舌を出すと呆れたようにため息を吐かれた。
「今でも、覚えてる。アイツを連れてった何か賢そうな奴の顔。すっごい嫌な顔してた!」
更に騒ぐとフベルトがまたため息を吐いた。彼は私に苦言を呈す事は無いが、こうやって「煩い」という顔を偶にする。かといって力で私をどうにかさせようとはしない。今までの大人の中では「良い大人」の分類だ。
「名前は?」
「え?アイツを連れてった大人?」
「違う。その『アイツ』とやらの」
「ああ。……ラファウって言うけど。私もアイツも物心付いた時には孤児で自分の名前とかも良く分かんなかったからお互いで名前付けたんだよ」
寒い冬の夜に、死なないように身を寄せ合って二人で震えながら夜を越したのを覚えている。眠ったら死ぬって聞いたから、夜通しお互いの名前を呼び合った。
「私が街の中心に行くと何かめんどくさそうだからなあ。アイツを連れて行った奴の名前、私は教えてもらえなかったから分かんないんだよね。賢そうな顔してたし、学者かも。フベルト知ってる?」
視線を巡らせてフベルトの瞳を見つめる。意思の強そうなまっすぐの視線が私を射抜く。初めて会った時から思っていたが、この男は目力がめちゃくちゃ強い。並の人間なら視線を合わせてもすぐに目を逸らしてしまうだろう。
「…………観測の時間だ。君の質問に対する答えが知りたければついてくると良い」
何でもないようにフベルトは視線を外すと立ち上がった。観測。それは彼が最近日課としている何事かだ。私には何のために行われているのかは良く分からないが、フベルトは毎晩同じ頃合に外に出て長く何か作業をしている。私も偶についていくが何をしているのかは良く理解が出来なかった。
「……まあ、良いよ」
真冬の外は寒く、ため息が白くなった。やっぱりついて来なきゃ良かったなあ、と思っていたら前を歩くフベルトが手を伸ばして私の手を掴んだ。身体が大きいと沢山発熱するのだろうか。彼の手はとても温かかった。
連れて来られたのは街外れの丘で、余計な光が無いせいか、見上げる空は満天の星空だった。私は視力が良いから小さな光も良く見える。フベルトは観測の合間に私が指差した星の名前を教えてくれた。
「あの三つ並んでるの、面白い」
「オリオンのベルトか。私も気に入っている」
「オリオンて何?人の名前?」
「ギリシア神話に登場する狩人の名だ」
遥か遠くを見つめるフベルトの目はとても楽しそうに見える。何がそんなに楽しいのだろう。目線の先にあるそれらが、彼は本当に好きなのだろうなと曖昧に思った。
「あれは?」
「……?どれだ?」
「何か光が固まってる、あの、この指の先の」
まっすぐにその塊に指を差すとフベルトが後ろからその長身を屈めて私の指の先を見る。彼が驚いたように息を吐いた。
「あれはプレアデスの鎖だ。幾つ光が固まっているように見える?」
「ええ?……えっと、十二、三くらいかな」
「驚いたな。相当目が良いと見える。並の人間なら七も見えない。ホメーロスは六つ見えたと記録がある」
「それ誰?……まあ、目は良いよ。アイツも、ラファウも目が良くて、私たちはだから生きて来れた訳だし」
思い出すのは私たちが生きるために盗みをしていた時だ。どちらかが見張りをして、どちらかがパンを盗む。二人とも目が良かったから、パンを盗むのなんて朝飯前だった。
フベルトは私が濁した言葉を追及こそしなかったが僅かに目を細めて、それから私が腰掛けていた倒木に静かに腰を下ろした。
「………………君の、幼馴染を」
フベルトがやや考える素振りを見せながら言葉を継いでいる。言葉を探すような様子を見せるのは珍しい。
「君の幼馴染を『連れて行った』大人は、もしかすると私の知っている人物かも知れない」
「……ふうん」
今更ながら、フベルトが先ほどの話の続きをしようとしているのだと気付いて、私は慌てて返事をした。
「養子を取ったと聞いている。遠目にだが、君と同じ歳くらいの少年を連れているのを見た。金色の髪の利発そうな」
「…………そう。アイツ、元気にやってるんだ」
世の中は不公平だなあ、と思う。もし、あの場面で私が男だったら。私が連れて行かれた世界線だってあったのでは?と思ってしまう。もしかしたら今もラファウと兄弟みたいに暮らしていたかも。ラファウの事を「一人だけ逃げた」って思わなくて良くなる。
「まあ、良いけどね。でも、アイツ賢いからさあ、逆に面倒事に巻き込まれそう」
この世は不公平だなあと思う。生まれたくて「詰み確定」の人生に生まれた訳じゃないのに。あーあ、笑い飛ばそうと思ったのに何だか凄く声が空回っている気がする。足先で地面をなぞって気持ちを落ち着ける。大丈夫だって、これくらい。
「……すまない」
「別に、フベルトに謝られる事じゃないでしょ。私に運が無かっただけの事だし」
「いや、」
珍しいなあ。フベルトが私に気を遣っている。別に良いのにと、口に出そうと思ったけどでも口は動かなかったから、仕方なく適当に空を指差した。
「あの星は何?」
「……?あれは、」
記憶力、良い筈なのにフベルトがあの日教えてくれた星の名前を、私はいまだに思い出せないでいる。