俺の前に飛び出して負傷したナマエは顔を歪めて膝を突いたが声という声は上げなかった。目は強い光を帯びて標的を見ていた。ナマエが何事かを口にすると標的の男が胸を押さえて苦しみ出す。援護するように俺のメタリカが剃刀をジョッキ一杯ご馳走した所で、男は倒れて動かなくなった。
男の息を確認するが僅かに喉が震えているだけだった。何も考えずに止めを刺そうと手を伸ばしたが、俺が何かをする前に男は最期の息を吐いて動きを止めた。振り返る。ナマエのまろやかな目は人を殺したとは思えない色をしていた。
「…………かわいそうに。それが安らかな旅立ちでありますよう」
俺にはナマエの言っている事は理解出来なかったが、ナマエが何か余計な事を考えている事だけは分かった。構わずナマエに近付き、傷口を押さえるその手を退かす。
「……っ、」
顔を歪めるナマエを宥めながら傷口を確認する。銃弾は肩を貫通しており、出血が多かった。止血には一度上衣を脱ぐべきだろうと考えた。
しかし、ナマエの着衣に手を掛けるとナマエは意表を突かれたように目を見開いて俺の手に押し留めるように触れた。
「……何故止める?止血をしなければ出血多量で死ぬ。それに止血せずこの場から離れれば目立つ。今すぐ此処で止血しなければならない」
ナマエは少し戸惑ったように眉を寄せた。しかし何かを考えるように一度首を傾げてから、納得したようにゆっくりと上着を脱ぐ。いつもゆったりとした服の下に隠されていたその身体は細く明らかな丸みを帯びていて、その体躯を見た時に俺は唐突にナマエの先程の戸惑いについて理解した。つまり「彼女」が何について戸惑い動きを止めたのか、その理由を悟ったという事だ。
インナーすら脱ごうとするナマエを咄嗟に押し留める。彼女が不思議そうに俺を見たため、誤魔化すように手伝いを申し出た。ナマエは本当に理解が出来ていないという顔で困ったように俺を見ていた。
「……止血しなければならないのでは?」
「全て脱ぐ必要はない。貸せ、俺がやろう」
「……はあ。……では、お願いします」
逃げるような俺の言葉に腑に落ちない、という表情を隠さず言葉少なに腕を差し出したナマエはぼんやりと止まる事なく流れる血を見ていた。微妙な沈黙の中に布を引き裂く高い音だけが響く。
「……女だったのか」
「そうですね。言っていませんでしたか?」
布の裂ける音の合間に問うと、実に淡々とした口調でナマエは俺の問いに答えを返した。そしてナマエが女だと知った瞬間、俺はこの怪我は跡が残るかどうかと考えてしまった。ナマエの秘密(様子を見るに、きっとナマエは隠そうと思って隠していた訳ではないのだろうが)に俺自身、動揺しているのだろうか。
「そして俺を庇った」
「そうですね。リゾットさんが撃たれそうだったので」
裂いた布を傷口に当て強く圧迫する。ナマエがか細く呻く。痛みも無く手当する方法など知らない。きっと並の人間にしてみれば、この処置は痛いだろうと思った。ナマエは、並の人間だっただろうか?
「痛くはないのか?」
「いいえ。もっと痛いと思った事も過去にはありました。それに比べれば、ずうっとマシです」
「だが負わずとも良かった傷だ。俺は庇われずとも大丈夫だった」
傷を圧迫したまま、適当な布を包帯代わりに巻き付ける。ナマエは顔を歪めていたが、それは傷が痛むと言うより俺の言葉に表情を歪めているようだった。
「……ええ、そうかも知れません。ですがそれは結果論です。私はあなたが怪我をするのは忍びないと思いました」
最後に力を入れて包帯を締める。ナマエが一際高く呻いて顔を歪めた。痛みのせいで目尻に浮かぶ涙を無造作に拭った彼女は俺を真正面から見つめた。
「それにきっと、あなたが怪我をしたら私は彼を赦せなくなってしまったでしょう」
「…………ゆるす?」
不審な顔をする俺に対してナマエは落ち着き払った「優等生」のような顔で微笑んだ。
「罪ふかき人々を導き赦す事は聴罪司祭としての私の使命です。たとえ不信の者に対しても私は祈り続けるでしょう。……それでも、私は未熟なので大切な方に傷を負わせた者を赦す事は出来ません」
「……理解が出来ないな。お前の敵を赦す必要があるのか?」
「赦さなければなりません。より多くの人々が神の国に行けるように」
アジアにはゼンという物があるのだと聞いた事がある。答えの無い問いを考え続ける事が肝要となるそうだ。今の俺たちのように。
「赦さなければならない相手を、お前は殺すのか?」
「それが私に課された使命ならば」
ナマエの目を見た。グレーの瞳には出血した後特有の気怠さのような色が見えた。だがその目の色はブレる事がない。ナマエの目を見た時、俺は彼女を理解出来ないだろう事と彼女も俺を理解出来ないだろう事がすぐに分かった。
「…………俺は、お前の言っている事が理解出来ない」
「構いません。私は未熟なので人のために祈り、人のために赦し、そして願わくば。…………願わくば、私をも神の国へと迎え入れて欲しい。『あの子』の待っているいと高き御国へ」
ナマエの瞳から溢れるように雫が零れ落ちた。ナマエは俺を見つめて静かに泣いていた。それは憐れむような瞳だった。少なくとも俺はそう思った。だから何も言わずナマエの手を取って引いた。
「帰るぞ」
「……ええ」
ナマエは抵抗する事はなく歩いた。意思を示す事もなかったけれど。「いと高き御国」とやらでナマエを待つ「あの子」とは一体誰なのだろう。そして仮に俺がそこへ行けたとして、俺を待つ者はいるのだろうか?
答えなど出るはずもないその問いが、不意に脳裏に滞留して、打ち消すのに僅かばかり時間が掛かった。