捨て去った一切の悪意

ナマエの連れて来た小さな猫はナマエに良く懐いていた。アジトの何処にいてもナマエについて来て、小さな声で鳴いていた。

「テオ、おいで」

テオと呼ばれるその小さな生き物をナマエはまるで人間のように溺愛していた。手ずから餌をやり、水を飲ませ、リゾットの許可を取って部屋の隅に居場所を作ってやっていた。俺が自分の猫を放っていたら嫌な顔をする癖に。

「お前の猫は躾がなっていないからな」

「猫はよォ、躾ができねェのがいいんじゃあねェかよ。しょうがねぇなぁ」

「猫も簡単な躾はできますよ」

「だそうだが?」

リゾットに文句を言ってやろうと思ったらナマエに返り討ちにされた。まあ、俺の猫は言う事聞かねェところが可愛いんだよ。ナマエとナマエの猫は俺の猫とも比較的仲良くやっている。もしかしたらナマエの能力のせいかも知れねェが。ナマエは気付いたらその小さいのを構い倒している。猫がナマエを拒絶するところを見た事が無い。それ程懐いているという事だろうか。

「テオ、テオは可愛いね。甘くて小さなお砂糖みたい。私のテゾーロ、とても可愛い」

トロトロの甘ったるい顔で猫に頬擦りするナマエはいつもの澄ました顔とは全く違う。まるでアモーレに見せるような面で細くて形の良い指先を使って遊んでやるように猫の背中を撫でている。猫も満更でもなさそうにナマエに擦り寄っている。俺の猫がいつも俺に見せる様子とはえらい違いだな。

「左眼が潰れているな」

ナマエの手の内にある猫をリゾット(此奴はこう見えて小さい生き物が嫌いではない)がマジマジと見つめて威嚇されている。それだけでマジに面白ェ話ではあるんだが、ナマエは気にした様子もなく小さく頷いた。

「裏路地で虐待されているところを見つけました。多分その時です。可哀想に……」

白い手が猫の頭から背にかけてを撫でていく。俺が俺の猫に同じ事をしたら絶対に威嚇されるというのに。

「私は許せなくてすぐに致命傷を与えてしまったんです。…………でも、もっと苦しませれば良かったな」

グレーの綺麗な瞳に影が過ぎる。純粋が故の透明な悪意だ。猫に対する綺麗な愛情とその猫を傷付けた男に対する汚らしい憎しみを、ナマエは上手く同じ面に置いて制御しているように見えた。此奴はそういう器用な事が出来る奴のようだ。

「……でも、そうやってテオを拾ったから今ここにいて、皆さんに会えたのでテオは神様が遣わしてくださった天使様ですね」

きっと固まったばかりの猫の左眼に口付けを落とすナマエに仔猫が控えめになお、と鳴く。字面通りの「猫可愛がり」に肩を竦めるがどうしてだろう、何だか微妙に座りが悪いような違和感を覚えていた。何故か猫の鳴き声に「怯え」が含まれているような気がして。

***

ナマエがアジトのソファに座らなくなった。あの猫のせいだ。あの猫の寝場所が部屋の隅になったせいでナマエは暇さえあれば部屋の隅にずっと座っている。仲の良さそうなギアッチョや兄貴分と慕うプロシュートが呼んでも立ち上がりもしない。少し、入れ込み過ぎなのではないだろうか。何かに深く入れ込む事が悪い訳ではないと思うが、ナマエのそれはどこか「違う」ような気がした。

一ヶ月もすればナマエはいつもアジトの隅でその生き物に何か喋り掛けているようになった。チームに入ってから壊れちまった奴を何人か見た事がある。それと似ているような気もする。だが、もしかするとナマエのこれは「それよりもっとヤバい」ような気もするのだ。俺はナマエの事はそれなりに気に入っているからつい世話を焼いてしまうのだ。

「ナマエよォ、オメェはしょうがねェ奴よなぁ」

「、?どういう意味です?」

小さな塊を抱いてナマエは部屋の隅に座っている。心なしかその目の下には隈が存在を主張しているように見えた。ぎょろりとした目玉にはどこか不穏な光が宿っている。

「その猫がよォ~、オメェの大事なのは分かる。だが、ちと入れ込み過ぎなんじゃあねェか?」

「………………」

ナマエは何も言わずに俺を見上げていた。初めて会った時のような感情の乗せられていない柔和な「無」の顔だ。そういえば、此奴はこういう顔をしていたなと思い出した。

「分かんだろ、ナマエよォ?大事なモンは誰にも見せねェようにしねェと、大事にすればするだけ弱点になるんだぜ?」

ナマエは何も言わない。ただ、グレーの瞳から感情が消えたように見えた。立ち上がったナマエが俺の顔を見た。形の良い唇が歪に持ち上がってナマエが口を開いたのは覚えている。だが、そこからの記憶が無い。