「やあ、これは手酷くやられたね」
息を吐く暇もない尋問(暴行とも言う)から三十分でも経った頃だろうか。軽快な声と共に軍人が一人入って来た。階級章は少尉を示している。雰囲気は中性的で女と言われれば信じてしまいそうな程、線が細かった。
全く品のある所作で俺の向かいに座ったそいつは気怠げに軍帽を取ると頬杖を突いて俺の方に視線を流した。アシリパさんの瞳とは違うけれど、星屑の散ったその目は美しいと、場違いに思った。その目に絆されそうになる。敵地だというのに。
「だれだ、テメェ……」
口を開くのも億劫で取り敢えず視線だけ返す。男は口端で笑うと机の上に手に持っていた箱を置いた。
「私はみょうじなまえ。鶴見中尉付きの少尉で立場上は君の敵になるのかな」
喋りながら手元の箱から彼が取り出したのは消毒液と脱脂綿だった。怪訝な顔をする俺にみょうじ少尉は椅子を引き寄せて俺の傍に腰掛ける。
「さあ、こちらを向いて。幾ら『不死身』といえども痛いものは痛いだろう」
「っ、やめろっ……!」
伸びて来た手が遠慮無く口許の串を引き抜くから、刺された時にも出なかった声が漏れる。みょうじ少尉とやらは俺の声にも綺麗な笑みを崩さず、ニコニコと笑いながら繊細に俺の口許を消毒して行く。
「何が目的だ?」
「勘違いしないでくれ。君を解放する気は毛頭無い。だが死んで貰っても困る。それに私個人的にも、君には用があるんだ」
「へえ、お偉い士官殿の事なんて俺は知らねえな」
「ああ、私も君の事は知らない。だが、私の部下が君の世話になったようだから」
「部下?」
ニコニコと笑うみょうじ少尉の纏められた髪がさらりと一筋落ちる。人懐こい笑みをそのままに、彼は俺の傷口を痛め付けるようになぞる。
「尾形上等兵が、世話になったね」
美しい微笑みだったが、その目に宿る感情は温かくない。ただ、彼はそれ以上の事をする気は無いようだった。俺の口許をするりと撫でるとみょうじ少尉は手早く消毒を終わらせ、再度俺の向かいに座った。
「さて、君の手当ても終わったし仕事の話をしよう。私がここに来たのは鶴見中尉より命を受けたからだ。即ち君が持っている刺青人皮の情報を得よと」
「……俺は何も知らねえ。何も知らねえのに答えようがねえ」
「へえ、そうだろうね。何も知らないから君はまだ生きている」
空気を殴っているかのような手応えのない会話だと思った。みょうじ少尉は以前ニコニコと爛漫に微笑んでいる。軍にこんな人間がいてやって行けるのだろうかと思うくらいに、彼は軍人らしく見えなかった。
「だが天下の第七師団がまさか、全くの確証も無しに一般人を捕縛すると思うかい?」
「現にされてるだろうが」
「そうだねえ。まあ君が捕縛されたのは第一に二階堂兄弟に暴行した廉な訳だがね」
それは現行犯だからね、と彼は肩を竦めた。それから彼の瞳がつい、と俺に向けられる。強い色をしていた。強者の瞳だ。鶴見中尉とは少し異なるが、それは支配者然としていた。
「なあ、教えてくれないかい。…………どうして、二階堂兄弟に手を出したんだい」
「そりゃ、相手が手を出して来たからで……」
「いいや、君から手を出した」
まるでその場を見ていたかのような口振りだった。俺は自分でも度胸はある方だと自負していたが、何故かこの時酷く背筋が粟立ったのを感じた。例えるなら羆と相対した時のような緊張感だった。
「何故だ?『一般人』の君がどうして軍人に手を出す必要がある?何か、『隠したいような事』でもあったのかい?」
三日月に細まった目は一見親しみが持てる。だが、その奥には蛇のような本性が見える。身体的な尋問なら幾らでも受け流す事が出来た。だが、俺にとってはみょうじ少尉の声、表情、雰囲気全てがその「尋問」の何倍も効いた。
「……さっきも言ったろ?人探しをしてて、いきなり軍人さんが現れたら驚いちまう」
「…………ああ、遊女を痛め付けた下手人を探していると言っていたね。妙な刺青をした、男の事だろう?」
ぱらぱらと、手許の書類を捲って流し見るように視線を送るみょうじ少尉に生唾を飲み込む。最悪の可能性だが、彼がアシリパさんの事まで辿り着いているような気がしてならなかった。
「っ、」
少し早いがこいつを殺して脱走を、と思った時だった。ぱちん、と彼は書類を机に叩くように置いた。
「まあ、私には関係の無い事だがね」
「、は?」
「刺青人皮なんて物に興味は無い。君が持っていようとなかろうとどうでも良いし、君の『友人』に対しても同じく、だ」
はっ、と嘲笑するかのように息を吐いたみょうじ少尉は俺の胸ぐらを掴むと、ぐ、と顔を近付ける。ふわり、と薫った香は俺には分からなかったが随分品があった。
「だが、私の部下に手を上げた事については償いをして貰わなければならない」
細まる三日月は、最早笑ってはいなかった。
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