04

「それでぇ?若い女の子に名前呼んでもらって嬉しい~!って事ですかぁ?……馬鹿だなあ」

「ち、ちげぇよ!」

丁度同じ頃合いに見回りの当直となった宇佐美と鉢合わせして、何気なく先日あった事を彼に話した門倉に、宇佐美は呆れたように肩を竦めた。慌てたように宇佐美の言葉を否定した門倉だったがその実、自分でもどうしてあのような事をしたのか分からなかった。その場の流れとでも言えば良いのだろうか。勿論今迄にだって囚人の家族に名を明かした事はあった。けれどもそれは相手に乞われて半ば仕方なく、といった事ばかりだった。

「気を付けてくださいよ?惚れた腫れたになっちゃったら、面倒ですからね」

宇佐美に言われて門倉自身決まり悪く感じながらも頷く。実は網走監獄では以前にも似たような事があって、最悪の事態に発展しかけたのだ。看守の一人が囚人の娘と良い仲になってしまい、その関係を利用されて囚人が一人脱獄しかけるという最悪の。幸いにも脱獄計画は寸前で発覚し、その看守のクビが飛んだだけで済んだのだが、この事に犬童典獄は烈火の如く怒り狂い、囚人の面会は暫く禁止されていた。その面会が漸く解禁された先の今回の門倉の案件であるから、宇佐美が眉を顰めるのも無理はない。そう、門倉も理解していた。

「分かってるけどよ……。何ていうかねえ。ああいう娘らしさの欠片も無い女っていうのはどうも気になっていかんぜ」

「はあ?門倉部長はブアイソな女の子が好みだったんですか?」

「馬鹿!ちげえよ!!……ああいう娘盛りの笑顔が作り物みてえだとな、どうにも気になっちまうんだよ。同じ娘を持つ身としてはなあ」

「出て行かれたくせに」

「うるせえやい」

こつん、と隣を歩く宇佐美を小突いて、門倉は陽光の差す廊下の先をぼんやりと眺めた。そう言えば何となく、今日はなまえが来るような気がしてならなかった。そして門倉のその予感は的中する。

「どうも」

「お、おう……」

相変わらず無表情に近い表情に申し訳程度に微笑みめいた仮面を張り付けて、なまえは一礼した。それから少し迷ったように口を何度か開閉した後、手に持っていた風呂敷包みを門倉に示した。

「あの、これ、宜しければ……」

「あ?なんだ、これ」

「差し入れです。皆さんで召し上がってください」

色素の薄い瞳がゆっくりと巡り、門倉を映す。しかしながらその瞳の色にはやはり違和感が拭えない。しかしまじまじと見つめるのも不躾だろうと、門倉は自然な素振りで目線を外して首を振った。

「悪いな。規則で囚人の家族からは何も受け取っちゃいけねえ事になってるんだ」

「まあ、そうなのですか。ではこれは持ち帰りますわ」

「……?折角だから、親父さんに渡してやれば良いんじゃねえか?」

その言葉になまえがす、と目を伏せた事に門倉は少しだけ心臓が揺らいだ気がして顔を顰めた。この少女が時折見せる捨てきれなかった人間らしさの残滓が、彼の感情を擽る事を、彼はもう、気付いていた。なまえはしかし、そんな門倉には気付かなかったのかゆっくりと首を振って門倉をまろやかな瞳で見つめた。

「父は、わたくしの作った料理など、口にしませんわ」

「……そう、か?まあ、そう言うんなら悪いけど持って帰ってくれ」

曖昧に頷いたなまえは持っていた風呂敷包みを抱え直すと唇を微かに持ち上げた。

「今日は、帰ります」

「は……?面会に来たんじゃないのか?」

門倉の言葉にゆっくりと目を細めたなまえは言葉を選ぶように口を開いた。

「本当は、門倉さまたちにこれを渡したくて来たのです。門倉さまたちには父がいつもお世話になっていますから」

人形のような表情に、しかし僅かに生気を見せて、なまえは門倉を見つめた。その瞳が、別に似てもいないのに門倉の娘のそれと重なって、彼は少しばかり胸が痛んだ気がした。

独りになった寂しさとかそういう感情はとうに失っていた。何度やり直したってきっと自分には同じ道を辿るしか出来ない事も分かっていた。それでもやはり、自分の血を分けた子が、この世に存在するという事は紛れも無い事実で。自分が見る事の出来なかった彼女の成長を。

(こいつを通して見てる、ってか……?)

感傷もここまで来ると気持ち悪い。宇佐美辺りに知られたら芋虫でも見るような目で見られそうだ。

「門倉、さま……?」

突然黙り込んだ門倉に不思議そうに首を傾げるなまえに彼は盛大にため息を吐いて、自信を落ち着かせるように後頭部に手を遣った。痒くも無いのにそこを掻き毟ってから、彼は肩を竦めた。

「……何作ったんだ?」

「え?……あ、お弁当……。だし巻き玉子とか、イカ大根とか……」

「っあー、ちょっと待ってろ」

怪訝そうな顔のなまえをその場に残して、門倉は足早に看守室へと向かう。丁度交代の時間という事もあって、引き継ぎはするすると進み、十分もしない内に、彼は再びなまえの前に現れた。

「あの……門倉さま……?」

「ほら、行くぜ」

いまいち状況を把握出来ていないなまえを連れて、門倉は人気の無い、しかし風通りの良い彼のお気に入りの休憩場所へと向かう。

背の高い木の影に隠れるように座った門倉から拳三つ分離れた所に腰を下ろしたなまえに彼は手を差し出した。

「バレたら俺の首が飛んじまう訳だが……イカ大根に罪はねえ」

「まあ、門倉さまはイカ大根がお好きなのですか?」

漸く門倉の行動の意味を把握したなまえは少しはにかんだように風呂敷包みを緩める。大きな重箱の中には色取り取りの菜が並んでいる。

「昔からイカが好きでね」

「そうなのですね。……気を遣わせてしまって申し訳ありません」

「あ?丁度腹も減ってたんだから寧ろ俺があんたの気遣いに感謝だろ」

「ふふ、ではこの事は二人だけの秘密ですね」

目を細めて微笑んだなまえの悪戯っぽく立てられた人差し指がその唇の前で止まる。細く白い指は彼の知っているどの女の物とも違っていて、門倉は尻の辺りのむず痒さを抑えるのに苦労した。

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