結論から言おう。なまえの手料理はそれはそれは美味だった。どの菜も門倉好みの控え目な味付けで、それでいて物足りなさを感じさせない絶妙さであった。
「すげぇ美味い」
「ありがとうございます。お口に合ったようで良かったです」
薄らとしかし穏やかな笑みを見せるなまえの表情に嘘偽りの影は見えず、門倉は何故かその事に酷く安堵していた。それは彼が少しずつ「深み」にはまっていた事の表れなのかも知れなかったが、今の門倉の中ではその感情に明確に名が付く事は無かった。
「お粗末さまでした」
昼飯時という事もあり菜の殆どを平らげてしまった門倉に、なまえははにかんだように微笑む。そのやや俯きがちな顔を見て、門倉はふと思った事を口走った。
「あんた、良い嫁さんになるな」
「え……?」
思いも寄らない言葉を掛けられて目を瞬かせるなまえに、門倉は今更ながら己の言葉のおかしさに気付いた。まるでなまえに随分と気安く接してしまっているような、そんな気がして。
「あ、いや、なんつーか!料理が出来る娘は何かと得だろ?だから……!」
必死に言い訳じみた言葉を並べる門倉を見つめるなまえは何も言わない。いっそ軽蔑の言葉でも吐いてくれた方が……と殆ど投げやりな門倉であったが彼女の反応は違っていた。
「…………ありがとうございます……」
彼女は少し困ったような、それでいて嬉しさのない混ぜになった微妙な表情で気まずさを誤魔化すかのように、その髪の後毛を整えるふりをした。
まるで照れたかのようなその表情に、今度は門倉の方が目を瞬かせる番であった。下世話な話ではあるが彼女ほどの美貌なら、似たような言葉などそれこそ掃いて捨てるほどその身に受けているのではないかと思ったのだ。
「そのような事を、言われたのは初めてです」
緩みそうな唇を引き結ぶかのように、上下の唇を合わせるなまえに門倉は僅かに気後れした。踏み込み過ぎた気がした。それでいて、彼女のその顔をもっと見ていたいとも。
「そ、そうか?あんたくらいの別嬪さんだったら……」
「門倉さまは、わたくしがみょうじの家の者だという事をお忘れですわ」
「あ……」
自嘲的な笑みを浮かべるなまえに、門倉は言葉を失う。当たり前の事だがなまえは極道の娘でその半生はきっと「普通」の娘とは全く異なっていたのだろう。彼女の半生を想像して、門倉は目を細めた。
「その……」
何を言っても慰めにならない事は分かっていたけれど、何か言うべきかと無理に口を開いた門倉に、なまえは緩く首を振る。
「……門倉さまはお優しいのね」
その声音の何と甘やかな事か。思わず背筋を粟立たせた門倉を責める者は誰もいないだろう。そして更にまずい事に、なまえの白魚のような手と門倉の無骨な手の指先同士が何故か、本当に何故かこんな時に静かに触れ合ってしまったのだ。
「あ、……」
ぱち、と瞬くなまえの目は大きくガラス玉のように透明で綺麗だと、門倉はそう思った。だからこそ、彼は何気なくその手をずらしてなまえから距離を取った。
「っあー、そろそろ休憩も終わりだな」
「まあ、そうでしたの。貴重なお休みをわたくしなどに費やさせてしまって申し訳ありません」
それだけ言うのがやっとの門倉に対して、なまえはどこ吹く風だ。先程までの甘やかな雰囲気は露ほども見当たらない。いつものように底知れない笑みを浮かべると重箱を静かに片付け始めた。
その横顔はまるで異国の女神か何かのように整っていて、門倉は改めて彼女の空恐ろしさに身震いがする思いだった。
「また参ります。……今度は面会人として」
帰り際、平坦な、それでいて美しい玉の音が門倉の感情を締め付けたような気がして、彼はいまいち彼女の顔を見る事が出来なかった。そのせいで、その顔が僅かに笑みの形に歪んでいる事など門倉は全く気が付かなかった。
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