天然か計算尽くか

大非常のどさくさに紛れて行方不明となった月島の生死を確認するまでは動けぬと一行は暫くの間、江渡貝剥製所に滞在する事となった。あれだけの大非常だったにもかかわらず、数日後には元通りに活動を始めた夕張の街にナマエは人の命の軽さを思い知った。

家主を喪った江渡貝剥製所は一行たちの仮の逗留地として存分にその役目を発揮していた。とは言ってもただでさえ剥製だらけで気味が悪いところに人間剥製なんていうもっと気味の悪いものがある訳で、ナマエの気は酷く滅入っていた。そのせいで杉元たちに心配されて、留守番を命じられるくらいには。

「……、」

懐かれたのかナマエの膝の上から動こうとしない猫を抱えながらナマエはそっと誰にも気付かれないように静かに息を吐いた。やる事が無い分思考の迷路に迷い込んでしまうのだ。それも悪い方向にばかり。

初めて杉元たちから金塊の話を聞いてからもう幾日が経ったのだろう?簡単に見つかる物でも、短い旅でもない事は覚悟の上で旅に同行したつもりだったけれど、いよいよ広げられた風呂敷が大きくなりすぎてナマエは混乱していた。それに加えて旅の中で己が出来る事が何なのか、彼女には既に分からなくなっていた。

(……私が、出来る事)

ナマエに出来る事と言えば精々その耳と目で何かを見付ける事、そして怪我をした仲間に簡単な治療をしてやる事。ただそれだけだった。そしてそれはナマエでなくても出来るという事を、彼女は知っていた。

(役立たずだ)

自分より年下のアシパは豊富な生きる力と明るい、竹を割ったような性格で一行に無くてはならない存在となっている。杉元は言わずもがな、白石だってその特殊な能力で皆から必要とされている。では、自分は?

ただでさえ足を引っ張っているのに、取り柄らしい取り柄も無い。情報収集さえ満足に出来ない。護られてばかりで何も出来ない、無力、無能、非力。情けない程に、ナマエは何も出来ない事がもどかしかった。

そしてどうしても、思い出してしまうのだ。「望まれない子」として生まれた自身の生い立ちを。仲間たちがそう思っていない事はナマエだって分かっていた。けれどナマエ自身がそう思ってしまうのだ。彼女を立ち竦ませる程に。

「…………っ籠の整理をしよう!」

無力感を振り払い、自分に言い聞かせるように猫を膝から降ろしたナマエは所狭しと並べられている剥製たちを避けるように籠の中から薬草の束を取り出した。量や種類を確認するのが主な目的であるが、やはり使っていると仕舞い方が乱雑にもなってしまうので定期的に綺麗に入れ直すのだ。

「チマキナが少なくなってるな……。あとはエハ。……やっぱり痛み止めとか傷薬がすぐなくなっちゃうなあ」

目の前の不安と虚無感を誤魔化すように声を出して確認しながら脳裏に新しく必要になりそうな薬草の種類を刻み付けるナマエはしかし、足音を消すようにして近付いてくる気配に振り返る。そこには足音を殺していたにもかかわらずナマエが自身の気配に気付いた事に意外そうな顔をする尾形が立っていた。

「……、尾形」

「へえ、『カムイの耳』は伊達じゃねえってか」

挑発するように口端を持ち上げた尾形にナマエは少し身構えるように顎を引く。幾ら同じ物を目指すために共闘する事が決まった者たちだとして、まだ彼らを信頼して良いのか分からなかった。

「何か、用?」

恐る恐る尋ねるナマエに尾形は何でもなさそうに手を差し出した。

「棚漁りして切った。お前薬師だろ」

「……あ、うん、」

慌てて籠を漁るナマエはシキナを取り出す。適当な長さに切り取ったシキナの花粉を、広げた油紙の上に落としていくナマエの作業を尾形は何をするでも無くじっと見ていた。

「ガマだな。どんな薬効がある?」

「シキナだよ。シサムは、ガマって言うんだね。これは花粉が止血剤になるの。切り傷にもよく効くんだ」

「へえ」

ナマエの細くて白い指が尾形の無骨な指に添えられて、傷口にシキナの花粉が落とされる。傷全体に花粉を塗ってから、ナマエはイワトペニで作った布を細かく切った包帯を取り出す。それを器用に尾形の指に巻くと傷に障らないように、しかし確りと巻く。

「はい、出来た。膿むといけないから暫くはこまめに布を取り替えてね」

柔らかく笑うナマエに頷く尾形は暫し自身の指を見ていたが視線を上げてその昏い瞳にナマエを映す。ナマエも彼の視線を感じて尾形を見返す。その瞳の色に既視感を感じたナマエだったが、その感覚は確かなものになる前に尾形が言葉を紡いだせいで曖昧なまま霧散してしまった。

「お前は、どうしてここにいる?」

「……どうしてって?」

「見たところ金塊に興味は無さそうだ。アシパとかいうガキと違って当事者って訳でもねえ。野心もねえ、関係もねえ、なら何が目的でここにいる?」

訝し気に、しかし見様によっては警戒して睨み付けるようにも見える尾形の視線から逃れるように、ナマエは視線を逸らす。しかし尾形は逃がさないとばかりに更にその視線を強くするから、ナマエは無視しようとしていた自身の感情と向き合わざるを得ない。

「よく、分からない……、最初は、コタンから出て行ければ何でも良かったはずなのに。でも、こんなに大きな事に巻き込まれているアシパの事が放っとけなかった。私の、たった一人の親友だから」

「…………」

言葉を探すナマエを、尾形は何も言わず見つめている。彼は嘲るように笑った。

「親友のために、涙ぐましいねぇ」

「理解されなくても良いけど、その時はそう思った。……結局は、役立たずだったけど」

挑むように尾形を見返すナマエは、唇を引き結ぶ。苛立ちを尾形に理不尽にぶつけるようなその様子に、彼は目を細めた。

「そう熱り立つなよ。一体何に苛立ってる?」

「っ、な、何でもないよ!私は役立たずで、『望まれない子』だった。ただそれだけの話……!」

どうしてこれ程までに感情を乱しているのか、ナマエにも分からなかった。ただ尾形の瞳に見つめられると、心の奥底に仕舞い込んでいた鬱屈とした感情が湧き上がってくるのだ。誰でも良いから責め立てて、言い負かしてしまいたいというような。

努めて深呼吸をして気持ちを落ち着けようとするナマエに尾形は笑みを深めた。挑発するような、感情を逆撫でする笑みだった。

「『望まれない子』ねえ……」

「親友の、助けになりたかった。そして私には少しだけその力があると思っていた。でも、ただそれだけ。私の自信は思い上がりでしかなかった」

「思い上がり?」

訝しむような尾形の声にナマエは頷く。

「あの大非常の時、私には何も出来なかった。勝手に飛び出して、かえって皆を危険に晒した。……それ以前に、私に出来る事ってとても少ないし」

項垂れるナマエはしかし尾形の興味の無さそうな顔を見て更に項垂れる。

「……ご、ごめんなさい。あなたには、関係の無い話だったね」

唇を噛み締めるナマエに、尾形は手近な椅子に腰掛けるとじっと彼女を見つめる。居た堪れなくなってその場を離れようとするナマエの耳朶を、小さな声が打った。

「……あのお人好し野郎と白石が死に損なったのはお前の耳のお陰だろ」

「え、で、でもあれはチンポ先生がいなかったらどうにもならなかったし……」

「その呼び方は止めろ。牛山だけじゃ奴らがどこにいるかまでは分からなかっただろうが」

「でも、」

「でも、だって。……鬱陶しいんだよ。お前が他の奴らには無い能力を持ってるのは事実だろうが。少なくとも杉元と白石は間接的だろうとお前に命を救われたし、……俺は、……まあ、これは良い。とにかく、お前は何も出来ない奴じゃないだろ」

誤魔化すように視線を逸らし、憮然とそう呟く尾形にナマエは目を瞬かせた。しかし尾形の言う事の意味を理解すると少しずつその表情を緩める。

「……ありがとう。そうであったら、嬉しい。やっぱりあなたとは初めて会った気がしない。どうしてかな」

可笑しそうに笑うナマエに尾形は器用に片眉を跳ね上げる。漸く本題に移ろうかとマキリを取り出すために彼が荷物に手を差し入れた時だった。

「あなたを見ていると、あの人を思い出す」

「あの人?」

余りのシキナを指先で玩びながら微笑を溢すナマエに機先を制された尾形は彼女の方に視線を流す。懐かしそうに表情を緩めるナマエの目は思い出を探すように細められる。

「まだ私が杉元と出会う前にね、コタンの近くで大怪我をした人を見付けたの」

「…………へえ、」

「どうしてかは知らないけど、その人はとても酷い大怪我で、でも私は大した治療も出来なくてね。……軍服を着ていたから尾形の知り合いかもね、心当たりある?……軍人さんって所属とかも沢山あるのかな?あの時、私凄く焦っちゃってて、碌にその人の顔も確認せずに帰っちゃったからなあ」

眉を下げて苦笑してみせるナマエに尾形は逆に眉を寄せる。尾形の眉間の皺に首を傾げるナマエに、尾形は深く、そして盛大にため息を吐いた。

「一つ聞きてえんだが、」

「改まって何?」

「お前のそれは天然なのか?」

「え?何の話?」

苛々と足を小刻みに揺する尾形にナマエは困惑した表情を隠す事も無い。首を傾げるナマエの表情に嘘が含まれていないのを見て取った尾形はもう一度、今度は脱力したように盛大なため息を吐いた。それからナマエから僅かに視線を外して口を覆う。

「……ていうか計算だったら許さねえ」

「だから何の話?」

尾形自身は聞こえないくらいの音量で呟いた積もりであったが、そんなもの「カムイの耳」の前では無意味だ。拗ねたようにも見える尾形の様相にナマエはいよいよ困ったように首を傾げる。

「私、何か変な事言った?」

「知るか、自分の胸に聞けよ」

「ええっ、なんで怒ってるの?」

「別に怒っちゃいねえよ」

「嘘だ、絶対怒ってるでしょ!」

目を瞬かせるナマエを尾形は呆れたように見ながらも手を伸ばす。身構えたナマエを気に留める事も無く、その小さな頭を押さえて彼女の耳に口を寄せた尾形にナマエは目を見開いた。

―さっさと思い出せよ、馬鹿。俺はそんなに気が長い方じゃねえ

「ど、どういう意味!?」

「自分の胸に聞いてみろって言ってるだろ。弄ばれて俺は傷付いてんだ。百回謝られたって許してやらねえ」

にやにやと、楽しげに口端を持ち上げながら離れていく尾形の背を見送るしかないナマエの足下に戻って来た猫が再びじゃれ付いた。

「……尾形って、優しいのかもしれないけど、不思議な人だね」

猫を抱き上げて視線を合わせながら首を傾げるナマエに猫はにゃおんと鳴いてゴロゴロと喉を鳴らした。

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