何もかも遠く消えていく

烟る視界に閉ざされてナマエは息も絶え絶えであった。いつの間にか煙に巻かれ、意識が低迷していく。外に出なければ待っているのは死あるのみだ。それなのに身体が動かない。

「っ、ナマエさん!」

「だい、じょうぶ……。わたしにかまわずに、いって」

視界が明滅して膝が震える。気力だけで立っている。それでもナマエは自分自身が一番分かっていた。あと一回でも深く息を吸ったなら、己は昏倒してしまうだろう事を。

約束したのに。一緒に暮らすと。

これまでの事が足早に脳裏を駆けていく。薄れていく景色の中、ナマエは海賊の影を見た気がした。

***

誰かが怒鳴っている声が聞こえる。聞き覚えのあるその声に、意識が浮上する。不思議な事に自然と呼吸が出来た。綺麗な空気を吸っている。

「……ここ、は」

「ナマエ!」

「ぇ、鯉登、ニパ……?」

経緯が全く理解出来ずに間抜け面を晒すナマエはしかし、弾かれたように辺りを見渡す。そしてある一点を見て、立ち上がり駆け寄ろうとする。もっとも急に立ち上がったせいで、立ち眩みを起こしてしまい彼女の許に辿り着くまでにへたり込んでしまったのだが。

「アシパ!!」

「…………ぅ」

猿轡を噛まされ、ぐったりと捕らえられているアシパを、ナマエは荒い息で見つめる。気を失っている間に取り返しのつかない事になってしまったのだとナマエは気付いた。

「さて、アシパは確保した」

冷たい鶴見の声が座り込んでいるナマエに降り注ぐ。背筋が凍りそうなその声にナマエは身を固くする。ただ呼吸をするだけの事ですら、強く意識をしないと出来ないほどの緊張だった。

呆然と鶴見の顔を見上げる。

「それではご同行頂こうか、ナマエ嬢。……この狂瀾怒濤の舞台の幕引きに、我々は観客を求めているのでね」

慇懃な所作で、彼はナマエを導く。逃れるように身を引くも、有無を言わさずに拘束されてしまい彼女は鯉登の馬に乗せられた。

「…………」

「ナマエ……」

俯いたナマエに鯉登は何か迷うように眉を寄せた。鶴見を先頭に駆けて行く馬を、鯉登は手綱を引いて止めた。

「鯉登少尉!?」

先を走る月島の困惑した声が遠くに消えていく。鯉登はそれを気に掛ける素振りもなく、ナマエを馬から下ろすと、彼女を縛っていた縄を断つ。

「え、」

「お前には、関係の無い事だ。我々に必要なのは、アシパだけ。…………最初から」

「鯉登ニパ、」

別れを惜しむように彼女の白い頬をひと撫でした鯉登はその惜別を断ち切るように踵を返して馬に跨る。

「待って……!」

「どこか安全な所で生涯を安穏と暮らせ。……私たちにはもう、関わりの無い所で。お前にはそれがお似合いだ。…………頼むから」

酷く寂しそうな声が、遠く離れていく。追い掛けても当然追い付けるはずもなくナマエはただ、ひたすらアシパと仲間たちの影を探した。

そうしないと、変化する何もかもに声を上げて泣き出してしまいそうだった。心を許したはずのかつての仲間たちでさえ敵になる、その事に耐えられそうになかった。そしてただ一人を得るためにこれから全てを捨てるのだと気付いて、ただ空を見上げた。遠くから聞こえる銃声を追うために。

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