これが最期だと

握った手は乾燥して、嫌な熱さをしていた。こちらを見る藤次郎の目は焦点が合っていない。魘されるような吐息と寒くもないのに震える弟の身体に奥歯を噛み締めた。

「にい、ちゃん……」

小さな声は、隣に寝ている兵士の譫言に掻き消された。それでも口の形で俺には伝わったから俺は頷いて藤次郎の手を握る力を強くした。

「これ、」

藤次郎が震える手で俺に手渡したのは手作りの肌守りのようだった。誰が作ったかなんて、すぐに分かった。そして俺は別れ際、東京駅で見た「彼女」の眼差しを思い出して胃が重くなった。

「にいちゃんが、もってて……」

「バカ、俺が持ってたら駄目じゃねえか。オメエが貰ったんだろ」

藤次郎の乾燥した唇が歪んで笑みのような表情を作ったような気がした。気のせいだと思いたかった。

「もってて。それで、にいちゃんだけでも、生きてかえって」

「……バカ言うんじゃねぇよ。お前も帰るんだよ。なまえとまだ、祝言も挙げてねえだろ」

その名を聞いて、藤次郎の顔が苦しそうに歪んだ。俺も藤次郎も分かっている。藤次郎は十中八九帰れない。それでも、万に一つの可能性を、俺たちは探しているのだ。

「にいちゃん……」

「祝言挙げる前から、なまえを未亡人にする気かよ」

「ああ、なまえに……、あいたいなあ……」

藤次郎には、俺が見えていないようだった。噛み合わない会話に握られた手から零れ落ちた紅い肌守りを、静かに藤次郎の懐に忍ばせてやる。

弟との会話が、少しずつ噛み合わなくなっている。その手を握り締めても、返って来る事の方が、もう少ない。

出来るだけ、見舞いに来てやっているけれど、軍医はもう長くないと言った。軍人だから、そうやって命を落とす事は仕方ないと思っていた。でも、そうなるのは藤次郎ではないともまた、思っていた。

どこかで、藤次郎だけはこの戦争を、いいや、軍人としての人生を、死なずに生き抜いてなまえと生涯を共にするのだと思っていた。

握っていた手を、離す。軍医が言うには今日明日、といったところらしい。俺は今から作戦に参加しなければいけないから、これが最期なのだとしたら随分と呆気無いのだと人の生命の軽さに絶望のような感情を感じた。

「兄ちゃん」

小さな声なのに、妙にハッキリと耳に付いた。振り返ると、藤次郎はとても優しい顔をしていた。

「やっぱりこれ、貸してあげる。にいちゃん、これから作戦だもの」

紅い肌守りを押し付けられるように手渡されて、俺は何も言えなかった。藤次郎が強く強く手を握ったからだ。弟は、とても強い目をしていた。藤次郎とはずっと一緒に育って来たけれど、これ程までに強く、哀願するような瞳を、俺は終ぞ見た事が無かった。

「必ず生きて帰って、……なまえを、幸せにしてね」

離れて行く手を、熱を、掴み直したかった。お前まで、お前を諦めるなと縋りたかった。皆が諦めたお前を、お前すら諦めてしまったら、誰がなまえを幸せにすると言うのだ。なまえはお前と幸せになりたいと望んだのに。

「……必ず返しに来るから、待ってろよ」

目に強く力を入れた。これが最期だなんて、思いたくなかった。

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