堅苦しい服も良く分からない勉強も無意味に見える作法も、僕たちはとても上手にこなした。貧民街では全く必要の無いそれらは、それでもどうしてかとても、「興味深い」と僕に思わせた。
外見を整えれば人が己を見る目は変わる。知識があれば人心を上手く掌握する事が出来る。振る舞いが変われば僕らを蔑んでいた人々は、手のひらを返して僕らを尊重するようになるのだ。そしてそれは僕たち「持たざる者」が、どれだけ渇望した「才能」だろう。
そう、それはある種の「才能」だ。誰しもが己を敬い貴ぶという事は。ジョースター家の人間は、生まれながらにその才能を持っている人たちだった。
「ねえ、ディオ。そう思わない?」
整えられた髪に手をやって、触らずに戻す。さっきメイドに整えてもらって、「触っては駄目」と厳命されていたのだ。仕方なくポケットに手を入れて、僕の考えを読書の片手間に聞いてくれていた半身に視線をやる。
「思わない。くだらない事を考えるな」
ディオも髪を整えてもらって綺麗な身形をしていた。僕も、まるで生まれた時からお貴族様みたいな格好をしている。今日は僕らが正式にこの家の養子になったお祝いのパーティーだった。時間までまだ間があるから、僕がディオの部屋に遊びに来たのだ。彼は面倒臭そうに僕に応対したけれど、これはきっと僕が面倒なのではなくて、パーティーが面倒なのだ。
僕は別にパーティーは嫌いではなかったけれど、好きでもなかったから彼の気持ちは何となく分かった。だって皆僕らを見ている。僕らが少しでも失敗する事を期待している。薄汚れた貧民街の餓鬼が、どれだけ取り繕ったところで生まれは変えられないのだと嘲るために、手ぐすね引いて待っているのだ。だから僕らはとても完璧に、「ジョースター家の養子」を演じた。とても紳士的に、だ。
「僕ね、思うんだ。ジョナサンもジョースター卿も生まれながらに人からとても愛されてるでしょう?」
「さあな。だとしたら何だ」
「僕はね、『大人たち』からとても愛されて育ったけれど、でもそれって彼らが『愛されてる』っていうのとは違うだろう?僕らと彼らの、一体何が違うんだろう」
ディオがとても嫌な顔をした。彼は嫌いなのだ。僕が「愛されていた時」の話をするのが。
「ナマエ……」
「ごめんてば。この話は駄目だったね」
自分と良く似た顔が憎しみに歪んでいる。ディオは本気で怒っているのだ。僕が「大人たち」に愛されていた事を。
「…………お前が」
ディオの骨張った手が僕の頬に触れる。それはとても優しい触れ方だった。死んでしまった母さんを思い起こさせる、繊細な手付きだった。
「お前があんな男の酒代を稼ぐために、薄汚い大人に触れられる必要なんか無かった」
「……でも、母さんのためにも金は稼がないといけなかったよ」
「っ、それは」
ディオの口角がひくりと痙攣した。昔から、彼は苛ついた時に無意識の内にその癖を出した。彼を安心させるように、僕は彼に触れる。僕らは同じ顔だから、互いに触れられて嬉しい場所を良く知っていた。
「ディオ、過去はもう捨ててしまおう」
額に鼻筋に眦に頬に口角にそして唇にキスを落とす。ディオは何も言わずにただそれを受け止めていた。
僕らの関係は歪んでいるのだと、いつだったか誰かに指摘されたような気がする。兄弟同士でこんな事をするのは間違っているのだと。でも僕らは生まれた時からこうだったから、正解が分からないのだ。
「ナマエ、俺は忘れない。絶対にだ。あんなクズから生まれた事も汚辱に塗れて底辺で泥水を啜った事も蔑まれて生きてきた何もかもを」
「ディオ……。それはもう、どうにも出来ない事だ。僕にはただ、『今』があれば良い。ディオ、君と二人、その『今』だけ。……あの男はもういないよ。僕たちで、殺してしまったのだから」
肩に置かれた手がとても強く僕の肩を掴む。赤い瞳が近付いて視界一杯にディオの顔が見えた。
「……世界に、俺とお前の二人だけなら良かったのに」
「昔からそうだよ。そして今も」
「……俺とお前で全てを支配する、全てを、だ。誰にも邪魔はさせない。俺たちは奪う側に立つ」
ディオの手が這うように僕の身体を包む。幼い頃から母さんは病弱だったから、温もりが欲しい時はお互いに抱き合った。僕らはきっと母の温度よりお互いの温度の方が良く知っているだろう。拘束されるように抱かれて頭を撫でられる。
母譲りの柔らかな髪を、僕は切る事が出来なくてずっと伸ばしていた。それでもメイドは面倒がる事無く髪を梳いて結ってくれる。その髪を今、ディオの指先が辿って行く。
「柔らかい髪だ……母さんの髪を思い出す……」
「ディオがそう言うから、僕は髪を切らないんだよ」
ディオの身体に僕も腕を回す。暖かな鼓動が聞こえる。それは生命の音だ。そしてきっとディオも、僕の生命を聴いている。
「…………二人きりで良い。僕とディオ、世界に二人だけ。互いに互いがいればそれで良いんだ。それ以上に何か必要?」
「……俺たちは奪われる側から奪う側に回る。それでやっと、『スタート地点』だ」
互いに同じ事を言っているはずだ。なのに噛み合わないのはどうしてだろう。でも、そんな事はどうでも良いんだ。ディオの行先に、僕の行先がある。僕らは一つ、二人で一つなのだから。
コメント