夢を見る。楽しくて、幸せだった時の夢。三人で、笑ったり、甘い物を食べたり、何でもないことで笑ったり。もう二度と帰らない大切な日々の夢。
私が二階堂兄弟と出会ったのは何のことは無い小樽の茶屋でのことだった。私は茶屋のしがない女給で彼らはそんな茶屋にたまたま入った一見だった。初めて見た時は同じ人間が二人入ってきたのかと思って目を擦って二度見してしまい、それに気付いた彼らに盛大に眼を付けられてしまって怖かったのはもう良い思い出だ。散々絡まれて、でも気付けばお茶以外にお団子とか練り切りとか結構色々頼んでくれる上客で、気付けば彼らは常連になっていた。
彼らは五日と空けず茶屋にやって来ては、私を給仕に指名して(顔に似合わず)あれやこれやと甘い物を食べて行った。毎度毎度二人で来るから最初の内は混乱していたけれどいつしか私は洋平と浩平の区別が確りと付くようになり、彼らはそれにいたく気を良くした。曰く両親でさえも時折間違える程彼らは似通っていて、成長してからは敢えて類似点を作って周囲を惑わせていたらしい。
彼らは意地悪でよく私を揶揄っていたけれど、その実、根の部分では田舎から出てきて慣れぬ生活に悩む私の愚痴を聞いてくれるなど分かりにくい優しさを見せるような男たちだった。最初の内はただ怖いだけの軍人二人という括りでしかなかった彼らを私は次第に待ち望むようになり、そして私はいつしかその片割れに想いを寄せるようになった。
洋平は浩平より少しばかり喧嘩っ早くて、少しだけ照れ屋だった。時々後ろを気にするように一人で茶屋に、私の許にやって来てはそっぽを向いて一輪の花を差し出すような、そんな男だった。私がその花に大袈裟に喜んでみせると彼は酷く満足そうに笑って、それから「浩平には内緒だぞ」とぶっきら棒に言うのだ。全く顔に似合わないことをする男だと思う。それでも、私は私の気を引こうと拙い真似をする洋平のことが大好きだった。
私と洋平の想いが通じ合ってからも私たちは三人で会うことの方が多かった。世の恋人というのはきっと二人きりの世界を大切にするのかも知れない。でも私たち三人には全員が必要だった。私には洋平と浩平が必要なように、洋平も浩平もそれぞれが必要だった。誰か一人でも欠けてしまったらたちまちに私たちの関係が歪なものになってしまう。それくらい私たち三人は酷く均衡を保った、正に「絶妙な関係」を築いていたのだろう。だからこそ、今、私たちは歪なのだ。
洋平が、死んだ。
つい先日その知らせを受け取った。薄情なことにその知らせを受け取った時、私は涙一滴零すことは無かった。ただ、周囲から音が消え、色が消えた。それだけだった。でもそれ以来私は夜毎夢を見る。洋平と浩平と三人で笑ったり、甘い物を食べたり、何でもないことで笑ったりするもう二度と帰らない大切な日々の夢を。仕事も手に付かず辞めてしまった私は日がな一日を夢を見て過ごし、ただ、終わりを待つ身であった。
「……なまえ、」
布団も敷かず硬い畳に身を投げ出す私を呼ぶ声に薄らと目を開く。懐かしい声の気がした。夢の中で聞いたその声は。
「よ、へい……?」
そうであるような、違うような、でもそうであって欲しい。その思いで口を開いた私だったが違うことぐらい分かっていた。洋平は死んだのだ。私は確かにその知らせを貰った。私を愛してくれた洋平は、もういないのだ。
「……そうだ、俺だよ。洋平だ」
だからその返事が嬉しかった。私の頭を撫でる武骨な手も息遣いも何一つ洋平とは違うのに、それでも洋平だというその「そっくりでまるで違う声」が嬉しかった。
「洋平は、死んでしまったよ……」
「違う。……死んだのは浩平だ」
固い声が私の言葉を否定する。「洋平」は未だ夢現の私の身体を抱き起こすと確りと自身の腕の中に収める。洋平によく似た匂いと感触を見付けて安堵しそうになっている自分に初めて、涙が零れた。
「ようへ、っ……!」
「馬鹿、泣くなよ。死んだのは浩平だって言ってるだろ?……お前の恋人は生きてるだろうが」
「そっか……、そうなんだ、生きてるんだ……っ」
不器用な手が私の頭と背中を何度も何度も撫でる。私は「洋平」の身体に縋って何度も何度もその名を呼んで泣いた。ただただ三人でいたあの日々が死にたくなる程懐かしく、悲しくなる程に恋しかった。
一頻り泣いて腫れた私の目を見て無理矢理笑った「洋平」は私の目元に唇を落とすとそっと私の肩を押して私を押し倒した。月明かりに照らされる彼の顔は本当に「洋平みたいで」治まったはずの私の涙はまた零れ始めて、それを見た「洋平」の目からも同じように雫が零れて私たちは泣きながらただひたすらにお互いを貪った。そうすればきっと忘れられると思ったのだ。洋平のことも浩平のことも私のことも、何もかも全て。
何もかも全て、忘れてしまうために私たちはお互いを傷つけるかのように高みに昇って、意識を手放した。それでも、「洋平」の腕の中、私は思う。もう一度三人の夢を見たい。そして、もし夢の中でそれが夢だと分かったならばもう、二度と。
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