高等遊民シリーズ

上官が自宅に寄ると言い、そして道中だからとついでに一服して行けと言われれば断る事は月島にはどうにも難しかった。別に何としてでも断りたい訳ではなかったけれど。

そしてこの騒動に巻き込まれた訳である。

「なまえ!貴様、私の家に婦女子を連れ込んで一体何をしている!!」

「ですからぁ、美しさには共通項があるのか調べてたんです!大体この家は兄上の家であると同時に僕の家でもあるんですよ!?」

事の経緯はこうだ。上官が自分を自宅に誘った。そうすればその自宅には既に先客がいた。上官によく似た雰囲気の優男が臥した女の上で何やらやっていた。とまあ簡単に言えばこんな感じだ。ちなみに彼が連れ込んだ女性は早々に鯉登が追い返した。

「まったく!今日は帰らないって言ってたじゃないですか。だからあのこを連れ込んだっていうのに!」

「なまえ……っ!貴様っ……!!」

悪びれもせず肩を竦めるなまえという男は察するところ上官の弟御で間違いないのだろう。しかし軍内に鯉登の弟御などいただろうか、と月島が首を傾げた時だった。

「っ、父上に頼み込んで一高に入った癖に、剰え遊民とは!お前は鯉登家の恥晒しだ!」

「ふふ、父上はやりたい事をやれと仰いましたよ」

とても爽やかに笑う癖に目の前の上官の神経を逆撫でしまくっている弟御の視線が不意に月島に向かう。強い光に灼かれそうだった。

「あれ、人がいた」

「……月島と申します」

「見苦しい所を見せて大変申し訳ありません。僕はなまえ、鯉登なまえ。察する通り鯉登家の恥晒しです」

悪びれもせず月島に差し出された手は傷一つなく柔らかだ。ただ、握ったその細い指にペン胼胝がある事に月島は気付いた。

「鯉登少尉に御令弟が居られるとは存じ上げませんでした」

「はは。兄上は僕の存在を家の恥だと思っていらっしゃるんです。一高を出たのに僕が遊び惚けているから」

「一高?」

特に鼻にかける様子もなくさらりと口にされたその言葉で月島は漸く思い出した。先年第一高等学校を首席で卒業した男があろう事か、帝大にも行かず遊民として日々を謳歌しているという話を。あれはまさか。

「もしや、先年第一高等学校を首席で卒業された鯉登青年というのは」

「え、ああ。僕の事かなあ」

あっけらかんとそう言い放ったなまえ青年は人好きする笑みを浮かべて「東京の悪い空気は僕には合わなかったみたいで」と甘やかに言った。

「~~~っ!なまえ!!結局あの娘に何をしていたのか私は聞いていないぞ!」

我慢できぬと言わんばかりの鯉登をいなしながら、なまえはきらきらとした眼を二人に向ける。正に知的好奇心の塊といった具合だ。

「簡単な数学の実験です」

「……、説明してみろ」

「ある特定の比を持つ縦辺と横辺を見た時、人はそれを美しいと感じるそうで。僕はそれが本当かどうか調べたかったんです」

「それがどうして、あんな、は、破廉恥な体勢に……!」

「肩の力を抜いてもらわないと正確な測定ができないから」

まるで何でもないかのように答えるなまえには本当にそれ以上の思惑はないようだ。月島にもそれは理解できた。だがしかし。

「そ、そのためだけに、婦女子を……?」

「だって他に何処で寸法を測ればいいんです?カフェーで巻尺でも取り出せと?」

脱力する鯉登の気持ちが月島には理解できた。このなまえという男。何だかひどくずれている。

「と、とにかく!疑われるような言動は慎め!それからお前はいつになったら進学先を決めるのだ!?」

「ええ……僕は今更陸士や兵学校に行く気はないですし、それに官吏になる気もない。ただ勉学がしたい。……そうだ!留学したい!」

「馬鹿か、貴様は!」

最早兄弟漫才である。しかしそれにしても。

上官とその弟御を見比べて、月島は僅かに嘆息した。二人は似ていないようで似ているようで、どうにも似ていない。そう思ったからだ。

身に纏う高貴さなんかは良く似ている。しかし兄と比べると弟は随分細いというか、華奢な感じがした。兄の恵まれた体格に比べると、弟は手足が長く細面な所は中性的な色香を醸し出している。あと何となく弟の方は少し斜に構えたような、若さ故の生意気さのような物が感じられた。

「鯉登家には兄上がいらっしゃるんだから、僕が何をしようが自由でしょう!?兎に角、僕は絶対に軍人なんかにはなりませんよ!」

口をへの字に曲げて(それすら少しばかり可愛らしく見える)、主張するなまえに疲れたようにため息を吐いた鯉登はふと、月島を見て思い出したように向き直る。

「っ、兎に角!早く進路を決めて父上を安心させろ!行くぞ、月島!」

「は、はあ」

どすどすと大きな足音を立てて部屋を出ていく鯉登を見送るなまえに月島は軽く一礼をして部屋を出て行こうとする。それを呼び止めたのは他ならぬなまえであった。

「兄をよろしくお願いしますね。見かけ通り一本気な人だから」

大人びた笑みに月島は何も言えなくなる。兄を想う弟の本意にただ曖昧に頷くと、なまえは更にその笑みを深めた。

「それに兄に何かあったら僕にお鉢が回ってきてしまう」

月島は早速彼に抱いた感情を撤回した。

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