この灰色の空の下

それから、俺とナマエが文通を始めて幾年かが経過した。俺は彼女との手紙の遣り取りの中で、彼女への気持ちを確かに自覚したし、俺自身の中でその気持ちは確固たる物へと変わっていった。それが果たしてナマエに届くのかは、分からなかったけれど。

ヴァシリへ

お元気ですか?私は元気です。ヴァシリと最後に会ってからもう何か月かな?私は今行商でエカテリンブルクの方に来ています。お父さんも元気です。「坊主はまた大きくなったかな」って事あるごとに言ってるよ。早くヴァシリに会いたい。次に会えた時には話したい事が沢山あるんだ。

あなたの友達のナマエより

取り出した手紙は俺の秘密の手紙箱にそろそろ満杯になりそうだった。幾年もかけて積み重ねたそれが、俺とナマエの絆のように思われて俺はそれが嬉しかった。ただ一つ不満があるとするならば、文末の「あなたの『友達』」という一文か。俺は彼女の事を「友達」とは思っていなかったから、尚の事その言葉に引っ掛かった。

俺はナマエが好きだ。

ああ、願わくばナマエが俺だけを見てくれたら良いのに、なんて友人たちが聞いたら驚いてしまうような気持ちすら湧き起こるのだから、俺は心底ナマエに想いを寄せているのだろうし、この想いは本物なのだろう。

ナマエとは初めて会った時からそれ程沢山の時を過ごせた訳ではなかった。彼女は行商人で、俺はただこの灰色の空の下、狭い村の中で彼女を待つより他は無いのだから。

それなのに会う度に、いいや、会わない時でさえも、俺のナマエに対する想いは大きくなり続けていた。それこそ、破裂しそうなくらいに。

その想いをぶつけたいと、思わないではなかった。ナマエに俺と同じ気持ちを抱いてもらいたいと思わない訳では。それでも俺の想いをこの便箋に乗せるにはそれは小さ過ぎて大き過ぎた。

だって、どれだけ言葉を尽くそうとも、俺が如何程にナマエの事を好きかは言葉に出来ないし、仮に出来たとして、「ナマエの事が好きだ」それ以外に書ける事が思い付かなかった。

だから俺は今日もペンを取って当たり障りのないことしか書けないんだ。手紙を読む君の手の温度を想像しながら。

ナマエへ

手紙ありがとう。俺も元気だよ。親父さんも元気そうで良かった。俺はいつもの通り、灰色の空の下で君が犬を駆けて来るのを待ってる。でもエカテリンブルクにいるのなら、当分俺の村には来られそうにないんだろうな……。俺も早くナマエに逢いたいのに。俺も君に逢ったら話したい事を沢山抱えているんだ。

君の友達のヴァシリより

追伸 最近狩りを始めたんだが、仕留めた獲物の羽根を同封するよ。羽根ペンにでもしてくれると嬉しい。

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