初めて見た時、この世界には似合わない女だと思った。強い光を目に宿して、こんな境遇、逆境に違いないのに諦めてないって顔だ。その顔が妙に苛ついてその心の芯を叩き折ってやりたいと思った。
楼主に聞けば水揚げされてからまだそれ程経っていないという話だった。見目の良い彼女を楼主は売り出して行きたいようで、俺が彼女を指名すると言うと願ったり叶ったりという顔をした。俺の気も知らないで。
今考えると水揚げ間も無い女に随分無体を強いたものだと思うが、なまえは俺にどんな事をされても泣き言を言わなかった。ただ、表面上心を許したように振る舞うだけで。
何を言ってもしても、全く意に介さないように振る舞うから、詰まらなくなってもう手を切ろうと思った夜だ。全てが終わって俺たちも含めて全てが寝静まった静謐の中、彼女が床から起き上がって窓を開け、ぼんやりと風に当たりながら月を見ている気配を感じた。
そして、薄目で盗み見たその横顔を、とても美しいと思ったのだ。
物憂げに目を伏せた表情は誰を恋うているのか俺は知らなかったけれど、遠い誰かを想う目は「あの人」によく似ていると思った。最期まで、俺を振り返らなかった「あの人」に。
「……へい、の……う、さま」
何事か呟いたなまえの手の内の手巾はその男の物なのだろうか。だとすると今彼女が呟いたのはその男の名だろうか。
途端に膨らむ疑問に目の前の女に対する興味が溢れてくる。その美しい瞳を、視線を、俺だけに向けてくれれば良いのにと、そう思った。
結局俺はそれからもなまえの店に通い、客として彼女を抱き、その時だけは彼女の最愛として振る舞う事を許された。そしていつの間にか、彼女を抱き、その身体を抱えて眠るその時だけは何故だか、俺は安堵していた。祝福された、普通の人間でいられた気がした。祝福された人間の、最愛であるかのように振る舞えたからだろうか。なまえに見つめられると、「百之助さま」と、名も呼ばれた事など無いのに、舞い上がるような気がした。
だからこそなまえの心が誰か別の男の許へ行くのが許せなかった。恐ろしかった。俺が人間でいられなくなるのが。なまえが俺を人たらしめていたのに。勝手に俺をその気にさせたのに。
彼女が結核だと聞いた時、だから真っ先に浮かんだ感情は歓喜だった。これでなまえを俺の許に引き留めておける。なまえがいるのなら、なまえの病などどうでも良かった。たとえ俺が同じ病に斃れようと。
これを美談だとか愛だとは思っていなかった。これは俺の欲であり、美しい「祝福」とは程遠い物だ。そう思っていたのに。
「どうして、こんな私を愛してくれるの」
困惑した顔で、なまえが問う。何を言っているのかよく分からなかった。愛する?誰が、誰を?
「ち、がう。俺は、ただ、」
「っこの行為に、意味が無いと言うのなら、あなたが私を愛していないと言うのなら。……もう、私を殺して」
なまえは泣いていて、俺はただ黙っていた。俺がなまえを愛していると、彼女はそう言うのだろうか。
分からなかった。俺は愛されずに、祝福されずに育ったから、愛とは何か、愛するとはどういう事か知らなかった。
それでもなまえを殺すのは嫌だった。だから彼女の身体を腕に抱いた。初めて会った時よりも、随分小さくなって骨の角が目立ってきたなまえの身体は震えていた。小さな身体に希う俺はさぞ、惨めなのだろう。
「俺だけを、見てくれ。俺を、……祝福、してくれ」
口を突いて出た言葉は何とも弱々しくて、きっとなまえには届かなかったのだろう。彼女は返答しなかった。嗚呼、そうだ。俺の言葉はきっと誰にも届かない。知っていた、事だったのに。腕の中のなまえを離したくなかった。俺のこの想いが伝わるまで。否、どちらかの生命が尽き果てるまで。
コメント