ナマエは俺の村にあっという間に受け入れられた。まるでずっと昔からこの村に来ていたかのように。村の子供たちに纏わり付かれて苦笑しながら彼らの頭を撫でるナマエの手を引いて輪の中から出してしまいたいと思う俺はおかしいのだろうか。彼女とはまだ出会ったばかりなのに。
いつものように薬草や燃料の油を物色する父の隣で俺は並べられた品を見定めるフリをしながらそっとナマエを盗み見た。
暖かな室内で(彼女ら行商人は村で最も広い家、すなわち長である俺の父の家に数日滞在する)防寒着を脱いだナマエは身体もあたたまったのか白い頬を薄紅色に染めていた。柔らかそうな白金色の髪を三つ編みにして俺の父に売り物の説明をしていた。しっかりと淀み無いその説明は、ただの説明のはずなのにいくらでも聞いていられる気がした。
「ヴァシリは……?」
「俺、?」
「うん、何か欲しい物は?ここにない物でも次回には用意する……します」
客に対する気安い態度にナマエの父親の視線が鋭くなる。途端に背筋を伸ばして丁寧な口調になるナマエが可愛らしくて思わず頬が緩んだ。本当は欲しい物も無かったけれど、つい手が伸びた。
「じゃあ、これ、」
「鉛筆……?」
それは一本の鉛筆だった。俺がそれを選んだことが不思議なのか一度ぱち、と目を瞬かせたナマエに少し得意な気持ちが湧く。
「……俺、絵を描くから」
何でもないように振る舞ったつもりだったけれど、多分俺の声は心なしか高揚していただろう。ナマエが大きな目をさらに丸くして瞳を輝かせるのを見たら余計に。
「ヴァシリ、絵を描くの!凄い……!」
「まだ、始めたばかりだ……」
「そうなの?でも凄い……ですね!」
凄い凄いと頬を紅潮させて俺を褒めちぎるナマエに堪らなくなって誤魔化すように後頭部に手をやる。手放しの賞賛は慣れなかった。
「ナマエ、坊主に夢中なのもいいが手が止まってるぞ」
娘の、ナマエの微笑ましい様子に僅かに頬を緩ませながらも商人の先達として彼女に忠告するナマエの父親は俺の父との商談を終わらせたようであった。俺たちの父親は昔馴染みか何かなのか気の置けない仲らしく商談が終わってから僅かに談笑めいたものを始める。
「ウチのヴァシリはお前の娘を随分気に入ったようだ」
そして何の話の流れか唐突に、特に感慨も無く当然といった風に俺の父がナマエの父親に告げるのを聞いて今更ながらに頬が熱くなる。俯いた俺だったが雰囲気だけでも2人の父親が温い視線を向けられているのは何となく分かった。それだけ俺が誰かに興味を示すのは珍しいことだということか。
「俺の娘も、みたいだなあ」
のんびりとした声で返答するナマエの父親は仕方なさそうに肩を竦めると他の村人の接客をしていたナマエの手隙を見計らって声をかける。
「ナマエ、休憩して来い。ついでに坊主と話でもしてみたらどうだ。お前同年代の友達少ないだろう」
「本当!良いの!」
灰色の目を輝かせて笑みを浮かべるナマエに他意は無いのだろう。それでも俺と話すのを喜んでくれているのだろうことが窺えて俺はそれだけでじわりとした温い感情を抱えてまごついてしまう。こんな感情持ったことも無くて、しかも会ったばかりの奴に。
「ヴァシリ、良かったらお話しない?」
にこにこと胸の前で手を組んで俺に微笑むナマエに何とか頷く。微笑み返すことは少し難しかった。俺は昔からあまり表情の無い子供だったからだ。それこそ母親に随分と心配されるくらいには。
「ねえねえ、ヴァシリって幾つ?」
「……先月10歳になった。……その、ナマエは?」
ナマエ、と名前を呼ぶのに少しだけ躊躇いがあった。名前を呼んでも良いのか一瞬迷って。けれども俺の心配は杞憂だったようでナマエは特に何も思わなかったのか微笑んで「じゃあ私の方が少しお姉さんだね」と得意げに笑った。
「俺より年上?」
「2か月前に10歳になったの!だから私の方がヴァシリよりお姉さんだよ」
「なんだ。たった1ヶ月じゃないか」
「1ヶ月でも私の方がお姉さん!」
堪え切れなくて噴き出せば途端に不満そうにナマエは唇を尖らせた。幼く見えるその顔に俺がまた僅かに微笑めばナマエも可笑しくなったのか綺麗に笑ってくれた。それは本当に綺麗な笑みだった。
「私は行商の家の子だから一つの所に留まって暮らしてないの。だからあんまり友だちもいなくて……。良かったら、ヴァシリとその……、友だちになれたらなって、思うんだけど、」
微笑んで、でもおずおずと窺うように俺の表情を見つめるナマエに、俺は慌てて頷く。迷う素振りも見せられないくらい、ナマエは半ば怯えるように俺を見ていた。それでも俺の真意を知ったのか、俺が頷くか否かといった時にはもう顔を綻ばせていた。
「俺も、ナマエと、友達になりたい」
「本当!嬉しいな!」
ナマエには笑った顔が酷く似合うと、俺は何の脈絡もなく突然に思った。そしてその予感はずっと正しくて、俺は少年の日に感じたこの直感を生涯抱えて生きることとなる。今この時は未だ、知る由も無かったけれど。
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